町田 トップニュース社会
公開日:2026.10.29
石阪昌孝屋敷跡と墓 町田市の登録文化財に 自由民権運動を主導
野津田町にある「石阪昌孝屋敷跡(いしざかまさたかやしきあと)」と「石阪昌孝墓(はか)」の2カ所が町田市の登録文化財(旧跡)に登録された。石阪昌孝は旧神奈川県を代表する政治家で、自由民権運動を主導。地元では今も親しまれている存在だ。
市は屋敷跡について、昌孝が政治活動の拠点とした場所で、1878年には芝生の西洋風庭園だった記録があり、文明開化の影響をうかがわせる点や、明治期に近代的な文芸評論を行い、大きな影響を与えた詩人の北村透谷と昌孝の長女、美那が出会った場所である点を評価。墓については、本人の遺言により野津田に建てられ、地元の青年会や町内会が維持管理してきた経緯が、昌孝の人間性や地域との結びつきを知るうえで貴重な事例とした。
昌孝は1841年に野津田村で生まれ、国会開設や憲法制定、参政権を求めた自由民権運動では多摩地域の運動をまとめ、神奈川県会の初代議長に就任。第1回衆議院議員選挙で当選し、4期務めた。
村の学校設立にも尽力し、地域住民に教育の場を提供したほか、野津田神社に石灯籠を寄進したり、野津田公民館のために土地を提供したりと、地域住民のために私財を投げうった。
登録にあたり調査を担当した市立自由民権資料館の学芸員、松崎稔さんによると、昌孝は私財を投げうち政治生活に奔走し財産を残さなかった「井戸塀政治家」の典型。屋敷も売り払ったため、資料もほとんど残っていなかったという。
地元に愛される
一方、松崎さんによると、存命中から地元住民は「ショウコウさん」と親しみを込めて呼んでいたという。当時「野津田の自慢はなんだんべえ、石阪昌孝あったこと...」という歌がうたわれているなど、昌孝は地域の誇りとして真っ先にその名が挙がっていた。そうした地元住民の昌孝に対する敬意は脈々と受け継がれており、その一例が町内会による墓参だ。
地元の野津田町内会は毎年、昌孝の墓に塔婆を立て花を供えるなど、彼岸の墓参を行っており、会の細則には「春彼岸に敬意の墓参を行う」と明記されているという。
今回の登録について同会会長の石阪督規さんは「昌孝を知ってもらうことが増え、ひいては野津田の歴史を知ってもらういい機会になった」と喜んでいる。
ピックアップ
意見広告・議会報告
町田 トップニュースの新着記事
コラム
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!












