横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.03.27
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第37回 文・写真 藤野浩章
「オランダの焦りの現れじゃろう」
◇
安政2(1855)年8月、江戸から大きな知らせが浦賀に飛び込んできた。幕府が長崎に「海軍伝習所」を創設し、その第1期伝習生が浦賀奉行所からも選ばれることになったのだ。
伝習の元は、オランダ。ついに開国に至る決断をした幕府はいよいよ本格的な海防に着手せざるを得なくなったが、大型船建造の解禁に続いて老中・阿部正弘はオランダに蒸気艦の購入を打診する。するとオランダは"軍艦を購入するだけでは宝の持ち腐れだ"と、軍艦を活かすための人と組織が必要だと言ってきたのだ。それで、長崎に海軍創設のための教育施設をつくり、オランダから教師団を招くことになった。異例の早さでの決定だったが、それだけ幕府は追い詰められていたのだろう。
しかし、焦っていたのは幕府だけではなかった。冒頭のセリフは、話を聞いた時に清司が発したもの。アメリカが電撃的に日本に開国をさせ和親条約締結まで至ったことで、江戸初期から続く独占交易が崩れることを恐れたオランダによる起死回生の策だろうという。
とにもかくにも、将来的に日本海軍となる組織に、浦賀奉行所が果たした役割はとても大きかった。士官候補生に三郎助と、同じく与力の佐々倉桐太郎(とうたろう)、下士官候補には同心の7人、さらに船大工や水主(かこ)なども選ばれている。「中島組」とも言える浦賀の勢力が、後の海軍創設の基礎となったのだ。三郎助34歳、新たなステージへの旅立ちだった。
そして、ついに艦長候補生として"あの男"がやって来る。
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