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逗子・葉山 スポーツ

公開日:2026.07.17

高校野球特別企画 社会を生き抜く強さはあの夏に 宮本和知さん(下関工業高校卒・62歳)

  • 社会を生き抜く強さはあの夏に (写真1)

 僕の野球人生の原点といえば、下関工業高校でのあの3年間です。僕らの時代は今とは真逆で、練習中に水も飲めなかったし、根性と気合がすべてでした。

 1年生の頃は、グラウンド整備や雑用に追われ、自分の野球をやった記憶がほとんどありません。理不尽に怒られるのも日常茶飯事でしたが、「ここで培う忍耐力は将来絶対に生きる」と信じていました。高校卒業後、社会人野球で大企業に就職できたのも、この3年間を耐え抜いたという信用があったからこそ。厳しい時代でしたが、自立して親を安心させられたのは本当に良かったと思っています。

忘れられないあの夏の涙

 3年の夏、エースとして山口県大会の準決勝のマウンドに立っていました。試合は終盤まで2対1でリード。しかし9回表、味方のエラーから逆転負けを喫し、僕らの夏はベスト4で終わりました。

 あの時流した涙は、負けた悔しさというよりも、「この仲間ともう一緒に野球ができないんだ」という強烈な寂しさからくるものでした。地獄のような苦しい練習を乗り越えてきたからこそ、仲間との絆は誰よりも深かった。高校球児の涙の正体は、いつの時代もきっと仲間との別れの寂しさです。当時エラーをしたショートの選手とは、今でも交流がある一生の戦友です。

「みんなへの想い」プロになっても

 社会人野球を経て読売ジャイアンツに入団し、プロとして憧れの甲子園のマウンドに何度も立たせてもらいました。サードを見れば原辰徳さんがいて、ファーストには中畑清さんがいる。それはそれは素晴らしい景色でした。

 でも、そんな「華やか」ともいえるマウンドに立っている時でさえ、僕の胸には「高校のみんなと一緒にここに来たかったな」という思いがずっとありました。だからこそ、プロでの活躍を通じて、高校の時の戦友たちに「俺も頑張ってるよ」というメッセージを届けたい、そんな一心で投げ続けていました。

 僕は今、縁あって葉山町で暮らしています。海に囲まれた下関で育った僕にとって、葉山の海の香りは自分の原点に帰れる「オアシス」のような場所なんです。

 ここで16年前から学童野球チーム「葉山巨人軍」を率いています。僕が子どもたちに一番伝えたいのは、技術だけでなく、挨拶やマナーといった礼儀、そして僕らが培ってきた「野球道」の精神です。

 最近、チームの卒団生たちが地元の居酒屋でアルバイトを始めたのですが、店長さんから「葉山巨人軍のOBは、挨拶もしっかりしているし本当によく気が利く」と褒めてもらえたんです。これがもう、僕にとっては一番の喜びですね。野球を通じて、社会に出ても通用する人間としての基礎を育てられているんだと実感できました。

 高校の3年間を耐え抜いた経験は人生の財産になり、出会った仲間は一生の宝物になります。これからもこの葉山の地で、子どもたちに野球の素晴らしさと、人と人との繋がりの大切さを伝えていきたいと思っています。

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