連載 地図・絵図で見る瀬谷の生い立ち 第13回 『皇国地誌』にみる 瀬谷と周辺集落の暮しその1 集落と道路 文/横浜・瀬谷地図くらぶ 田中常義
『皇国地誌』は、明治初期(明治5〜26年)、政府が各府県に提出させた、郡誌(ぐんし)・村誌(そんし)。「迅速測図」測量の頃の瀬谷・二ツ橋・宮沢・阿久和の4か村の土地(税地)・戸数、人口・地勢(山・林・川・堀・橋・道路)・社寺・学校・会所、民業などがわかる。
図は、4か村を通過する主な道路(県道・里道・村道)である。ちなみに瀬谷村は、“五道アリ(中原往還・八王子往来・矢倉沢往還・神奈川往来・鎌倉往来)、荷車13・人力車2、農耕牡馬66頭、物産ハ武蔵国橘樹郡神奈川駅及多摩郡八王子駅ヘ輸送、運輸ハ便利、薪乏シカラズ”とある。道敷(道路幅員)は、2〜3間(3・6〜5・4m)。
(神奈川県立図書館『かながわの歴史文献55ー神奈川県関係基本史料解説目録』2008年・石田龍次郎『皇国地誌の編纂〜その経緯と思想』1966年)
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