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麻生区 コラム

公開日:2023.03.03

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」『うれ柿』と学校生活の思い出…その3【2】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 高尾山薬王院での1年生学年写真(1948年5月 3回生)

    高尾山薬王院での1年生学年写真(1948年5月 3回生)

  • 久里浜港で乗船する船の前で記念撮影(1949年5月 3回生2年2組のクラス写真)

    久里浜港で乗船する船の前で記念撮影(1949年5月 3回生2年2組のクラス写真)

 とりわけ1年生の5月に行われる最初の遠足は、印象深いものになるのでした。当時柿生中学校には、柿生小、東柿生小、それに黒川と岡上の分校の4つの小学校の卒業生が入学してきます。当然最初から他校出身者と隔てなく接することは出来ませんから、自校出身者で固まる4つのグループが出来、互いに様子を覗う状態がしばらく続くのです。そんな状況を一変させ、ぎこちなかった他校出身者との会話も、まるで以前からの仲間であったかのように滑らかにする効果を発揮するのが遠足でした。学校という日常の世界を離れ、あまり乗ったことのない電車に乗って、行ったことのない目的地を想像して、胸弾ませる者同士の連帯感が、出身校の垣根を超えた仲間意識を創出する役割を担ったのです。

 80代の半ばを迎えている2回生の皆さんは、2年生か3年生の時に江ノ島に遠足に行ったと曖昧な記憶を手繰ってくださいました。新制中学校発足初年度の1947年はどなたも遠足の記憶を持たず、校外学習を計画する余裕などなかったのでしょう。遠足などの校外学習が、授業の一環に組み込まれたのは、2年目の1948年からだったようです。1948年入学の3回生の卒業アルバムには、1年生当時の高尾山薬王院で撮った学年全体の写真、2年生当時の久里浜港で乗船予定の船の前で撮ったクラス写真(ここから船で浜金谷へ渡り、鋸山登山を目指したのです)が貼られています。この鋸山登山については、1951年入学の6回生の1年次の遠足に際して、低気圧の影響で海が荒れ、海を見るのも、船に乗るのも初めてだった生徒たちは、船酔いと転覆の恐怖を味わったことが、記録されています。それでも上陸するとすぐに元気を取り戻すのが、若さの特権、鋸山の頂上から眼下の景色を大いに楽しんだ様子も記されています。(『30周年記念誌』)   (つづく)

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