Future forecast 「マスク」の先に見えた未来 〜横須賀2030作・清水タケル
船は、観音崎を出航した。
冬の風は少し冷たいけれど、1月の日差しは思ったよりも暖かく、僕のポケットに突っ込まれたハルカの手はさほど冷たくなかった。
その手の先にあるのは、婚姻届だ。この薄っぺらい紙切れを1枚出すのに、10年もかかってしまった。今日、2030年の元旦は、それがすべて解き放たれる日。すでに一緒に住んで何年も経つけれど、今朝の気分はいつもと違うものだった。
2021年の元旦、17歳だった僕たちは、猿島のビーチのさらに奥の砂の中に1つのビンを埋めた。そこには「2030年の今日、2人でこれを開けられたら結婚する」と書いた、確かマックかスタバのナプキンが入っているはずだ。
頭上を、ドローンが追い抜いて行った。宅配の荷物の運搬だろう。
「この船だって電気で動いて、おまけに無人運航らしいし、さっきは自動運転のタクシーに乗ったしね。そんな状況で砂に埋まったビンを探しに行くなんて、私たちだけとんだアナログね」ドローンの航跡を追いながら、ハルカがつぶやいた。
「あそこにできたマーケットだって食材の運搬は全部自動だし、あの浦賀ドックでさえドローンやロボット、VRでの案内がされてる。こないだ見たら、中島三郎助(なかじまさぶろうすけ)と握手できたからね、あれはすごい」
「あ、浦賀の駅前でAI勝海舟と並んでる人?横浜F・マリノスのユニフォーム、案外似合うから笑える」
SDGsの10年が終わり、次の目標である2050年に向けたPRが盛んにされている。残念ながら気候変動の動きは止まらず、10年前に比べて平均気温が1・5度上昇したり、今や大型の台風が日本を襲うのも当たり前になっている。
しかしここ横須賀は環境技術の先進都市として注目され、再生可能エネルギーの割合は全国平均の倍。積極的な環境投資で街の姿もずいぶん変わったように思える。車の充電スポットが当たり前になったし、自動運転のおかげで交通事故も減った。二酸化炭素を回収するカーボンリサイクルでは横須賀の企業が世界的に有名だ。僕が働いているYRPのIT企業が手掛けたAI介護ロボットが人気で、遠隔医療の拠点も横須賀がリードしている。
うみかぜ公園でのアーティストのライブはもはや定番で、環境を考えたゴミゼロのイベントという面でも注目されている。この夏もeスポーツの世界大会が開催されるみたいだ。高校時代、僕も関東エリア大会まで行ったのはちょっとした自慢だ。
「自動運航なのに、ずいぶんスムーズに着くのね」
猿島に上陸すると、そこは10年前の記憶とほとんど変わらないように思えた。どんなに技術が進んでも、何となく神聖な雰囲気はそのままだ。しかし、明治時代の要塞や豊かな自然を守る技術はだいぶ進歩していて、島全体が太陽光発電で運営されているのだという。史跡と環境技術を見るエコツアーも人気らしい。
「あれ、ここらへんだったはず…」男女2人が砂浜をほじくっている姿はどう見ても怪しかったが、ここで諦めるわけにはいかない。
「あっ」僕たちは同時に声を上げた。
「あった…え?」ビンの中を覗くと、文字が書いてあるマスクが1枚、入っていた。「マックでもスタバでもなかったじゃない。ケンカして損しちゃった」僕たちの記憶も案外アテにならない。
「マスクかあ。そんな年だったね」
そう笑う僕たちの後ろで、2030年最初の夕日が、美しく輝いていた。
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