OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第15回 駿河台編【6】文・写真 藤野浩章
「外に出ると、ほんとに又一(またいち)さまなのですから」(第二章)
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神田駿河(するが)台の小栗家には、平穏な日々が訪れていた。幕臣トップの安藤信正(のぶまさ)と対立して外国奉行を辞め「またも小栗様のお役替え」「一刻者(いっこくもの)」と江戸城内では噂になっていた。冒頭のように妻・道子にもからかわれる始末だったが、本人はどこ吹く風。あくまでも徳川家のためを思って直言するのであって、他意は無いというのである。
加えて、何より本人が気にしていたのが勝海舟(かつかいしゅう)だった。「自分が浮かべば勝が沈み、勝が浮かべば自分が沈む」という状況が如実にあらわれていたからだ。なぜ、小栗は勝にそこまでライバル心を燃やしていたのだろうか?
実は、ペリーが浦賀へ来航した時、当時の老中・阿部正弘が広く諸大名や幕臣に意見を求めたことがあった。下級役人も含め全国から七百通の意見書が届く異例のものだったが、その中に勝の案もあったのだ。
一、人材の登用 二、大船(おおぶね)を造り外国と交易し、その利益で海防を強化 三、江戸湾岸の砲台を強化 四、旗本を西洋風の軍隊に再編成 五、火薬と銃の製造を整備
ほとんどが攘夷(じょうい)を推す中にあって、極めて革新的なこの案は、小栗に新鮮な印象を与えることになる。2人の考えは、ほとんど一致していたのである。あとは、実際にどう進めていくか?
そんな中、坂下門外(さかしたもんがい)の変(1862)が発生し、和宮降嫁(かずのみやこうか)という奇策を成し遂げた安藤信正が攘夷派に襲撃されて失脚してしまう。
再び幕府に危機が迫り、忠順(ただまさ)にまたも白羽の矢が立つ。「小栗上野介(こうずけのすけ)」の誕生である。
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