神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
横須賀・三浦版 公開:2025年1月24日 エリアトップへ

OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第31回 横須賀編【2】文・写真 藤野浩章

公開:2025年1月24日

  • X
  • LINE
  • hatena
蛤御門(京都御所)
蛤御門(京都御所)

「幕府が、そっくり京へ移ったようなものではないか」(第四章)



 1864(文久4)年になっても、政治の混乱は続いていた。京では一橋慶喜を中心とした主導権争いが激化し、そのスタンドプレーに幕閣は翻弄(ほんろう)されていた。

 本書では、遠く離れた江戸にいた小栗は「かえって実態が把(つか)める」としながらも「この重大な時期に、なぜ身内争いなどしているのか」と焦る様子が描かれている。そう、彼はこの時無役だったのだ。

 そんな中、7月には攘夷過激派を新撰組が急襲する池田屋事件が起こり、攘夷運動が再燃する。さらにその報復として長州勢が京を攻撃。蛤御門(はまぐりごもん)(禁門)の変だ。孝明(こうめい)天皇は激怒し「朝敵」として長州征討(せいとう)が発せられることになる。

 その直後、小栗は3度目の勘定奉行勝手方を命じられる。大坂夏の陣以来という大動員に当たり、その計画と資金繰りを任せられたのだ。まさに"困った時の小栗"というわけだ。

 時にはありがた迷惑という事もあったが、しかし本書では今回ばかりは本人が切望していたという説をとっている。それは彼が、自他ともに認める大規模な兵力動員計画立案の第一人者であったことに加え、薩摩や長州の増長を目の当たりにして、幕府自前の造船所づくりを急ぎたいという思いも大きかった。そしてもう1つ、将軍家茂(いえもち)に直訴して神戸に「海軍操練所」の設立を認めさせたという勝海舟(かつかいしゅう)の存在も彼の原動力になったとしているのが興味深い。

 ライバルが動けば、味方も現れる。この後、彼の力となる2人の重要人物がついに登場する。

OGURIをあるく-画像2

宅建協会 横須賀三浦支部

弁護士による「不動産の法律無料相談」を2月18日(火)に実施します。

https://kanagawa-takken.or.jp/association/chiiki/yokosuka_miura/

<PR>

横須賀・三浦版のコラム最新6

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第33回 横須賀編【4】文・写真 藤野浩章

2月7日

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第32回 横須賀編【3】文・写真 藤野浩章

1月31日

わたしのまちでいきる

わたしのまちでいきる

【34】求められる「自力通学」「一般社団法人sukasuka-ippo代表理事 五本木愛」

1月31日

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第31回 横須賀編【2】文・写真 藤野浩章

1月24日

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第30回 横須賀編【1】文・写真 藤野浩章

1月17日

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第29回 京都編【2】文・写真 藤野浩章

1月10日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 2月7日0:00更新

  • 1月31日0:00更新

  • 1月24日0:00更新

横須賀・三浦版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

  • OGURIをあるく

    OGURIをあるく

    〜小栗上野介をめぐる旅〜第33回 横須賀編【4】文・写真 藤野浩章

    2月7日

  • OGURIをあるく

    OGURIをあるく

    〜小栗上野介をめぐる旅〜第32回 横須賀編【3】文・写真 藤野浩章

    1月31日

  • わたしのまちでいきる

    わたしのまちでいきる

    【34】求められる「自力通学」「一般社団法人sukasuka-ippo代表理事 五本木愛」

    1月31日

横須賀・三浦版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2025年2月7日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

X

Facebook