戻る

鎌倉 コラム

公開日:2026.07.24

鎌倉のとっておき 第197回 徳川将軍家の鎌倉(その一)

  • 四代家綱ゆかりの一ノ鳥居

    四代家綱ゆかりの一ノ鳥居

 初代家康は自らを源氏の末裔と名乗るほど日本初の武家政権を開いた源頼朝を尊敬し「吾妻鏡」が座右の書であった。

 この時代荒廃した鎌倉に対し寺社の復興や再建に力を注いだ。特に鶴岡八幡宮は源氏と武士の守護神で、代々武家のリーダーに崇められてきた。鶴岡八幡宮を保護する事が鎌倉幕府以来の武家政権の正統な後継者をアピールする為の必要不可欠な役目であった。

 その意思は代々の将軍に受け継がれる。二代秀忠が1624年に行った上下両宮の正遷宮(寛永の御造営)は幕府の威信をかけた造替であった。その後上宮本殿は1821年の火災で焼失するが、1828年十一代家斉が再建した権現造り本殿が今の姿とされている。また歴代将軍の多くは社の修理造営に併せ太刀を奉納している。特に八代吉宗が奉納した「正恒附糸巻太刀拵」は太刀として鎌倉唯一の国宝である。また若宮大路に立つ一ノ鳥居には次のような挿話がある。秀忠の御台である崇源院(お江)は八幡宮の御加護により世継ぎ家光を出産した。

 ある日崇源院は夢の中で「備前国犬島に奇石あり、その石を以って鶴岡社前の大鳥居を建立し給ふべし」という八幡大神のお告げを受け、それを子の家光に託し他界した。実際鳥居を建立したのは孫の四代家綱であった。鳥居建立に先立ち現在も社務所前にある手水鉢が同じ犬島から運ばれた。また源氏池の旗上弁財天は崇源院や北条政子が篤く崇敬したとされ、時代の統治者の妻と縁深い社である。

井上靖章

鎌倉 人気記事ランキング

  • 前日
  • 1週間
  • 1か月

鎌倉 人気記事ランキング

  • 前日
  • 1週間
  • 1か月

ピックアップ

すべて見る

意見広告・議会報告

すべて見る

鎌倉 コラムの新着記事

鎌倉 コラムの記事を検索

コラム

コラム一覧

  • LINE
  • X
  • Facebook
  • youtube
  • RSS