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鎌倉 コラム

公開日:2026.07.31

鎌倉のとっておき 第198回 徳川将軍家の鎌倉(その二)

  • 大長寺宝蔵葵の御紋

    大長寺宝蔵葵の御紋

 徳川家康は、豊臣秀吉の小田原攻めに加わり玉縄城を攻めた事から、大船方面には家康ゆかりの寺が多い。

 植木の久成寺にて家康は小田原攻めの際祈願を頼み、恩賞として寺領三石を寄進した。その後鷹狩りの折にも寺を訪ね葵の御紋の付いた弁当箱を授けた。

 またこの寺には五代綱吉印の朱印状が寺宝として残る。同じ植木の貞宗寺の寺名の由来、貞宗院は二代秀忠を生んだ家康の側室お愛の局の生母、秀忠の祖母にあたる。大奥で御年寄役を務め、晩年はこの地で隠居した。寺宝として葵の御紋が入った膳や蒔絵の食器類等が残っている。本堂大棟にも葵の御紋があり、将軍家ゆかりの寺である事が示される。

 岩瀬にある大長寺は、1548年北条綱成が玉縄城主としてこの一帯を治めていた時代に建立された。四代目住職の時代、家康が直々にこの寺を訪れた事もあった。北条家・徳川家によって代々崇められ高い格式の寺である。境内左手に葵の御紋が印された宝蔵がある。以前境内には家康お手植えといわれた銀杏の木があったそうだ。

 また家康についてこのような逸話がある。創建当初この寺は「大頂寺」と名乗っていた。すると家康は山号が「亀鏡山」である事を聞き「亀は大長寿なので『大長寺』と名乗るよう」寺名を変えさせたと言われている。

 家康は後に将軍となる以前の戦国時代にこの地を訪れた痕跡が残されており、鎌倉との繋がりを深めていく。

井上靖章

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