鎌倉 コラム
公開日:2026.08.14
鎌倉のとっておき 第199回 徳川将軍家の鎌倉(その三)
鎌倉で徳川家を語る上で大切な寺が二つある。
その一つ山ノ内の東慶寺は駆け込み寺・縁切寺の名で知られる。当時から鎌倉尼五山第二位に数えられ格式の高い寺であった。二十世住職の天秀尼は家康の孫千姫の養女で、大阪城落城後特別に命を助けられ、家康の命によりわずか七歳で東慶寺に入った。
もう一つの寺は、現在鎌倉で唯一の尼寺となった扇ガ谷の英勝寺である。開基英勝院(お勝の方)は家康の側室で、1636年、三代家光から譲り受けた太田道灌の土地に英勝寺を建立した。
その後は水戸徳川家の姫君が代々住職を務め「水戸御殿」「水戸様の尼寺」と言われた。仏殿には家光寄進の運慶作と言われる阿弥陀三尊が安置されている。水戸藩主の徳川光圀は1674年、英勝寺に宿所し鎌倉の名所旧跡を訪れ「鎌倉日記」を記した。その後、光圀の命で家臣が編纂した「新編鎌倉志」には「鎌倉七口」「鎌倉十井」を選定しており、現在の観光案内のルーツとも言える。
一方産業面では肴献上制度が挙げられる。材木座・腰越等を含む六つの浦は「鎌倉六ヶ浦」と呼ばれ、漁師は幕府への役負担として江戸城や宿場に肴を献上する義務があり、その代わりに漁業権を保障された。
月五回鯛・鮑・海老等を献上し、夏には生鰹を夜通し運んだ記録が残る。松尾芭蕉の句にも「鎌倉を生きて出でけん初鰹」とある。将軍に限らず江戸の人々は鎌倉の初鰹を食したようで、近世鎌倉の経済は江戸により支えられていた。
井上靖章
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