鎌倉のとっておき〈第21回〉 谷戸の名前とその歴史
鎌倉の地形は三方が山に囲まれ、南は相模湾が開けている。その三方の丘陵にはいくつものひだのような谷が入り組んでおり、こうした谷は「谷戸」(やと・やつ)と呼ばれ、古くから人々が生活を営んできた。
もっとも身近なのは、地名にもなっている「扇ヶ谷(おおぎがやつ)」であろう。室町時代、この場所に邸宅を持った上杉氏の一族は「扇谷上杉氏」と呼ばれた。ちなみに「犬懸ヶ谷(いぬかけがやつ)」に邸宅を構えた一族は「犬懸上杉氏」である。
また現在、妙本寺のある場所は「比企ヶ谷(ひきがやつ)」と呼ばれ、比企一族が邸宅を構えていた。しかし比企能員が建仁三年(1203年)北条時政によって滅ぼされ、二代将軍源頼家が伊豆に流され幽閉となるなど、悲劇の舞台ともなった。比企能員の子・能本が日蓮に帰依し妙本寺が建立された。
それから、その日蓮が鎌倉に来て最初に草庵をむすんだのが「松葉ヶ谷(まつばがやつ)」である。ここから「立正安国論」が北条時頼に建白された。しかし何者かによって草庵が襲撃をされ、何とか一命をとりとめるという事件が起こっている(松葉ヶ谷の法難)。
そして日本における「ナショナルトラスト運動」の先駆けとなった「御谷(おやつ)騒動」の「御谷」は鶴岡八幡宮の北西に位置する谷戸である。昭和三十九年(1964年)、鶴岡八幡宮の後背部の緑地開発に反対した保存運動を機に、「古都保存法」が制定された。
ここで紹介した「谷戸」はほんの一部である。市内には多くの「谷戸」があり、それぞれが歴史と深いかかわりを持っている。こうした場所を巡るのも鎌倉散策の楽しみの一つである。
浮田定則
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