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秦野 コラム

公開日:2026.07.31

秦高100周年に寄せて コラムリレー 広畑ヶ丘空はれて 第12回 飯尾(旧姓:関口)美甫(高8回卒)

  • 広畑ヶ丘空はれて (写真1)

 「レフト〇〇君、秦野高校」とアナウンスが神宮球場に流れた瞬間、一人立って拍手した私。兄弟でチームを作る程野球好きの兄達と、初めて六大学を観戦してから70年球場に通った。私自身も中学ではバレーとハンドボールの主将をし、在職中は野球部の副顧問として小田原市で優勝の経験もあって、京都へ女子駅伝の母校応援にも行った程のスポーツ好きだ。

 こんな私が秦高に入学したのは昭和28年。この年の女子は初の市外からの3人を含めた10人で、個性豊かな素晴らしい面々だった。一クラスには4人程だったが、それ故に心の結びつきが強い仲良しだった。

 在学中、最も嬉しかったのは北相地区大会での卓球で、強豪上溝高に勝ったこと。僅か10人の内の3人が先輩一人と編成した急拵えのチームだったが、私の高校生活への不安を払拭してくれた。指導された岸先生に感謝。

 最も緊張した事は校内音楽祭で全校生の前で独唱した事。加藤先生に推されての出場だったが、舞台袖でのあの胸の高鳴りは今も忘れない。

 そして一番悲しかった事は卒業式での山岸先生の東大病院からの祝電で、涙がどっと流れた。1年2年と担任されて、3年間数学を教えて頂いた。男子は怖がっていたが、私には穏やかな笑顔の優しい師だった。

 教職に就き、各校の上司に先輩が多くお世話になり感謝です。女子10人の半数が市や学校の幹部、自営業主として仕事も子育ても全うした。又、箏曲や茶道の師、俳人としても文化面でも地域に貢献している。

■元秦野高校同窓会副会長/元秦野高校同窓会東京支部長

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