神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

大磯歴史語り

白馬にまたがる吉田茂

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第37回「吉田茂【4】」文・武井久江

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内閣総理大臣に上り詰めるまでの吉田茂は、成功と挫折の繰り返しでした。莫大な遺産があるから自由気ままに学業を続けられた側面と、みずからの(続きを読む)

外交官としてスタートを切る吉田茂

明治150年記念連載

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第36回「吉田茂【3】」文・武井久江

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令和2年の幕開けです。養父(吉田健三)亡き後、耕余義塾で5年間の勉学を終了した茂は、明治27年日本中学(前身は東京英語学校)に入学。こ(続きを読む)

耕余義塾の跡地

明治150年記念連載

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第35回「吉田茂【2】」文・武井久江

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2人の父の事を話します。実父の竹内綱は山之内一豊を祖とする土佐二十四万石重臣・伊賀家の家臣・天保10年(1839)の生まれで、軽輩の家(続きを読む)

明治150年記念連載

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第34回「吉田茂【1】」文・武井久江

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「8人の宰相」最終章・吉田茂に入ります。「明治150年記念連載」として昨年の4月からスタートし、8人の宰相を語ること早1年と7ヶ月。唯(続きを読む)

明治150年記念連載

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第33回「原敬【8】」文・武井久江

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今回で原敬、終焉を迎えます。活動はまだあります。『朝敵・賊軍の汚名をそそぐこと』。戊辰戦争殉難者50年祭で詠まれた祭文「昔日もまた今日(続きを読む)

介寿荘跡地の店舗入口にある胸像

明治150年記念連載

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第32回「原敬【7】」文・武井久江

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今回は、原が行った内閣総理大臣としての業績について語ります。  (1)藩閥の打倒打破と政党政治(外務・陸軍・海軍以外の大臣を衆議(続きを読む)

現在は盛岡の原敬記念館に移築されている腰越の別荘

明治150年記念連載

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第31回「原敬【6】」文・武井久江

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大磯での原の過ごし方は、陸奥の死後、別荘をそれほど活用しなくなりました。大磯を訪問する回数自体が減っていったのは、明治34年(1901(続きを読む)

小島初五郎のご子孫が建てた標示板

明治150年記念連載

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第30回「原敬【5】」文・武井久江

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今回は大磯での関わりをご案内します。明治25年(1892)9月、原は病気の妻・貞子を転地療養させるため、大磯町の禱龍館を訪れました。こ(続きを読む)

和歌山県にある陸奥宗光の銅像原は自宅にも陸奥の銅像を飾っていた

明治150年記念連載

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第29回「原敬【4】」文・武井久江

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前回のお話で、原は国際情勢に通じた官僚へと成長していきますが、更なる人脈が付きます。結婚した妻の両親が離別し、初代の外務大臣を務めた井(続きを読む)

日記が収められていた蔵

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第28回「原敬【3】」文・武井久江

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前回で、賄征伐事件(寮の食事で学校と対立)のため、2年半で放校処分になりました。この時の裏話があります。司法卿(現・法務大臣)の大木喬(続きを読む)

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明治150年記念連載

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第27回「原敬【2】」文・武井久江

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原は、旧藩主の南部利恭(としゆき)が設立した「共慣義塾」へ入学するために15歳で東京に出ます。勉学に励んでいる時に、実家に泥棒が入り母(続きを読む)

原敬生家の産湯の井戸

明治150年記念連載

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第26回「原敬【1】」文・武井久江

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今回から、原敬に入ります。原敬は、明治時代の終わりごろから大正時代に活躍した盛岡出身の政治家です。「立憲政友会」という政党の総裁となり(続きを読む)

加藤高明のお墓

明治150年記念連載

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第25回「加藤高明【5】」文・武井久江

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加藤高明は今回で終了です。加藤内閣は前回のお話で総辞職をしましたが、実はその頃から健康に不安を感じていました。また、実際は護憲三派内閣(続きを読む)

鶴舞公園にある普選記念壇

明治150年記念連載

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第24回「加藤高明【4】」文・武井久江

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護憲三派による政党内閣がついに誕生しました。第1党となった憲政会総裁の加藤が総理大臣に推薦されました。政友会総裁の高橋是清が農商務大臣(続きを読む)

加藤高明の銅像跡(台座)

明治150年記念連載

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第23回「加藤高明【3】」文・武井久江

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加藤高明が内閣総理大臣になるには10年という歳月がかかりました。なぜそこまでかかったのか? 一つは、慣例となっていた外交機密文書の元老(続きを読む)

加藤高明邸

明治150年記念連載

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第22回「加藤高明【2】」文・武井久江

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加藤高明は、岩崎弥太郎の死により帰国命令が出され日本に戻ります。明治19年(1886)弥太郎の後継者となった弟の弥之助に望まれ、弥太郎(続きを読む)

加藤高明の墓

明治150年記念連載

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第21回「加藤高明【1】」文・武井久江

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令和が、今日からスタートです。良い年にしていきましょう。今回は明治150年記念連載の6番目に当たります、第24代総理大臣・加藤高明につ(続きを読む)

大磯別邸の門

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第20回「寺内正毅【3】」文・武井久江

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ビリケン像ですが、明治41年(1908)アメリカの女流芸術家・フローレンス・プリッツが夢で見た神様の姿を刻んだ像と言われていますが、当(続きを読む)

ビリケン像

明治150年記念連載

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第19回「寺内正毅【2】」文・武井久江

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前回でお話しした田原坂の戦いで、寺内は右手の自由を失くしました。そのために、以降は実践の指揮を執ることはなく、軍政や軍教育の方面を歩み(続きを読む)

現在の寺内邸

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第18回「寺内正毅【1】」文・武井久江

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昨年の4月から大磯に在住された8人の総理大臣を語ってきましたが、やっと4人の方(伊藤博文・山縣有朋・大隈重信・西園寺公望)が終了し、残(続きを読む)

多磨霊園にある西園寺家の墓碑

明治150年記念連載

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第17回「西園寺公望【4】」文・武井久江

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今回で西園寺公望は、終焉を迎えます。今年は元号が変わる年でありますが、西園寺が生まれたのは、嘉永2年(1849)、亡くなったのが昭和1(続きを読む)

興津「坐漁荘」2階の床の間

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第16回「西園寺公望【3】」文・武井久江

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明治15年(1882)3月4日、伊藤博文と憲法調査のため欧州に渡り、その時にパリ大学での勉強が活かされ、伊藤との関係も親密になりました(続きを読む)

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第15回「西園寺公望【2】」文・武井久江

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前回でお話しした西園寺のパリ留学は、大村益次郎等の推薦により、官費でフランスに留学しました。その期間は9年半に及びましたが、その間に世(続きを読む)

西園寺邸跡に建てられた旧池田成彬邸

明治150年記念連載

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第14回「西園寺公望【1】」文・武井久江

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シリーズ第4弾は西園寺公望です。残念なことに今回の大磯邸園の公開には間に合いませんでしたが、滄浪閣の隣に明治32年に別荘(隣荘)を構え(続きを読む)

記念館前の大隈重信像

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第13回「大隈重信【5】」文・武井久江

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先週、佐賀県の大隈重信記念館と生家に行って来ました。それを活かして彼の総括をします。  大隈重信は、明治政府において二度の内閣総(続きを読む)

大隈庭園の大隈綾子像

明治150年記念連載

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第12回「大隈重信【4】」文・武井久江

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大隈は大磯に別邸を構えた翌年に、日本初の政党内閣、第1次大隈内閣(隈板内閣)を組閣し第8代総理大臣に就任しました。61歳の時です。明治(続きを読む)

大隈邸前庭の五右衛門風呂

明治150年記念連載

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第11回「大隈重信【3】」文・武井久江

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大隈が大磯に別邸を構えたのは明治30年。翌年に第8代総理大臣になりました。7代までは薩長出身者で受け継がれていた総理大臣。大隈は維新の(続きを読む)

早稲田大学の大隈重信像

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第10回「大隈重信【2】」文・武井久江

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前回に続き大隈重信です。「明治14年の政変」は大隈が国会早期開設や政党内閣制を主張し、この急進的意見に漸進主義を取る伊藤らが反発して御(続きを読む)

大磯の旧大隈邸玄関

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第9回「大隈重信【1】」文・武井久江

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シリーズ第3弾は大隈重信です。満を持して、大磯町で「明治記念大磯邸園一般公開」の公募が始まりました。その1軒が旧大隈重信邸です。(続きを読む)

山縣有朋記念館

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第8回「山縣有朋【3】」文・武井久江

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山縣の普請道楽は、まだまだ続きました。大磯の別邸で過ごしている間も、京都で明治24年に第2無鄰菴、明治29年に第3無鄰菴を建てました。(続きを読む)

山縣が愛した白砂青松の風景

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第7回「山縣有朋【2】」文・武井久江

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山縣は、幕末に長州藩の奇兵隊軍監に任じられました。それ以来、山縣は軍隊と共に歩んでいきます。明治の元勲(元老)ではもっとも長命だった一(続きを読む)

山縣有朋の生誕地に立つ石碑

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第6回「山縣有朋【1】」文・武井久江

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今回から、シリーズ第2弾山縣有朋公です。山縣公は、3代・9代と総理大臣を務められ、出身は長州藩(現在の山口県)です。天保9年(1838(続きを読む)

伊藤家の墓所(東京)

明治150年記念連載

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第5回「伊藤博文【5】」文・武井久江

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今回で伊藤博文は最終回です。伊藤は、どんな政治家だったのでしょうか?  【攘夷派の志士から初代総理大臣へ】吉田松陰の松下村塾で学(続きを読む)

現在の滄浪閣跡地

明治150年記念連載

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第4回「伊藤博文【4】」文・武井久江

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明治29年(1896)11月に伊藤は滄浪閣を大磯に移し、翌30年10月1日付で本籍を東京の本邸から大磯町に移しました。その際には伊藤自(続きを読む)

明治時代に造られた滄浪閣

明治150年記念連載

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第3回「伊藤博文【3】」文・武井久江

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明治18年、初代総理大臣に伊藤博文が任命されました。直前まで公爵である三条実美が有力候補だったのに、何故でしょう? この会議で井上馨が(続きを読む)

松下村塾

明治150年記念連載

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第2回「伊藤博文【2】」文・武井久江

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伊藤は、16歳(18歳説も有り)から松下村塾に学び始めました。貧しい出ということから彼はいつも蔑まれる言葉を浴びながらの青春でしたが、(続きを読む)

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第1回「伊藤博文【1】」文・武井久江

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今年は、明治維新から150年という節目の年。大磯町は国・県・町をあげて盛り上がっています。何故なら、明治から昭和にかけて8人の総理大臣(続きを読む)

お噺のお話

鎌倉のとっておき

葛原岡神社の「縁結び石」

鎌倉のとっておき 〈第75回〉

鎌倉縁結び

鎌倉は海や山、歴史的史跡はもちろん、洒落たショップやカフェなどが立ち並び、まち全体に見どころが満載だが、縁結びのご利益が期待できる寺社(続きを読む)

「船祝い」が行われる腰越漁港

鎌倉のとっておき 〈第74回〉

鎌倉新春ごよみ

新春の鎌倉は、鶴岡八幡宮をはじめ多くの初詣客でにぎわうが、その中で古(いにしえ)から続く仕事始めの儀式など、中世鎌倉の様子を伝える行事(続きを読む)

兀庵普寧が開山の一人となった浄智寺の本堂「曇華殿」

鎌倉のとっておき 〈第73回〉

鎌倉生まれの言葉あれこれ

「挨拶」は、中世鎌倉で広まった禅宗の問答が一般化し、今では日常会話のやり取りや手紙の往復などを表す言葉になったものだが、私たちが何気な(続きを読む)