明治150年記念連載 大磯歴史語り 第34回「吉田茂【1】」文・武井久江
「8人の宰相」最終章・吉田茂に入ります。「明治150年記念連載」として昨年の4月からスタートし、8人の宰相を語ること早1年と7ヶ月。唯一建屋が公開されています(当初の家屋は、平成21年に焼失しました)。再建公開されたのが平成29年、公開から1年を待たずに来館者が10万人を超しました。最近のニュースを賑わせている「桜を見る会」の前身の「観桜会」は、明治14年(1881)吹上御所で開かれた「観桜御宴」が前史です。明治16年〜大正5年までは浜離宮、大正6年〜昭和13年まで新宿御苑、いずれも国際親善を目的として、皇室主催で行われました。この「観桜会」を復活させる形で昭和27年に吉田茂が総理大臣主催の会として始めたのが「桜を見る会」でした。開催地は観桜会と同じ新宿御苑となるが、同園は昭和22年(1947)の閣議決定で旧皇室庭園から国民公園へと変更されていました。第1回は昭和27年吉田茂総理大臣主催、招待客約1000人。本来なら彼の生い立ちから入るつもりでしたが、あまりのタイミングに見逃すことが出来ませんでした。今回話題になっている「桜を見る会」とは、大分様変わりしています。これから語る事を見て頂き判断して下さい。
吉田茂は二人の父を持ちます。実父は、土佐(高知県)出身で自由民権運動にも関与した、竹内綱です。養父は、明治初期に実業家として活躍した吉田健三です。吉田家への養子縁組を後年こんな風に語ってます。「のしをつけて、水引きをかけて、まことにつまらないものですが…」ウイットに富んだ皮肉を好み、それでいて常に人間的な温かみを失わなかった彼らしい言葉です。茂が竹内綱の五男(七男七女の兄弟がいます)として生を受けたのは、明治11年(1878)9月22日。同年5月に大久保利通(後に彼の孫・雪子と結婚)が東京・紀尾井坂で暗殺されます。1年前には、西郷隆盛が西南戦争で亡くなっています。まさに明治新国家の揺籃期に生まれました。波乱万丈の人生がスタートしました。(敬称略)
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