鎌倉のとっておき 〈第77回〉 「病気平癒(へいゆ)」を願って
人生100年時代、願わくば健康であり続けたいと思うが、鎌倉には病気の回復にご利益のあるとされる寺も数多い。
古くは腰越の満福寺。奈良時代、関東で疫病が流行した際、仏教僧の行基が鎌倉で祈りを捧げたところ、病気が収まったことからこの地に寺を建てたという。
満福寺は、源義経が平家討伐で凱旋した際、兄の頼朝に鎌倉入りを許されず、ここに留め置かれたため、自らの思いを『腰越状』に記した地としても有名だ。
次に極楽寺。寺を開いた仏教僧の忍性は、病気で苦しむ人々のために、施薬院(薬の投与等)や悲田院(病人等の入所)を設けるなど、福祉事業にも取り組んだことから医王如来として崇められたという。
さらに大町の上行寺。病に特効のある瘡守(かさもり)稲荷を祭る稲荷堂と、無病息災のご利益のある鬼子母神を祭る薬師堂がある。言い伝えによれば、北条政子は源頼朝の「おでき」を治すため、瘡守稲荷に参拝したという。今では「癌封じ」の寺としても広く知られている。
ほかにも、薬師如来を祭る覚園寺や海蔵寺、「日朝さま」の愛称で眼病に効くとされる本覚寺などは、いずれも病気の回復にご利益のある寺としても知られている。
明治期、ドイツ人医学者ベルツが保養地として最適な地であると称賛した古都鎌倉。人々が自らの健康とともに、大切な人たちの健康を願う、心温まるまちである。
石塚裕之
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