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相模福祉村新春恒例「福祉」対談 「個性の違い」認め合って 赤間源太郎理事長×鈴々舎美馬さん(一般社団法人落語協会)
創立40周年(2023年)を機に新たなスタートをきった、市内最大級の福祉グループ「社会福祉法人相模福祉村」(中央区田名)。今年は、障がい者支援施設と高齢者施設の建て替えや児童養護施設の新設という大きなプロジェクトの本格化が控えている(竣工はいずれも26年)。そのような中、恒例の新春対談にむかえたのは相模原市出身の女性落語家、鈴々舎(れいれいしゃ)美馬(みーま)さん。一昨年二ツ目に昇進し、昨年はNHKにも出演した今注目の噺家だ。実は美馬さんは学生時代に障がい者施設でアルバイトをしたことがあるなど「福祉」に縁があるそうだ。互いに思う「福祉のあり方」などを聞いた。※敬称略
建て替え、新設進行/二ツ目さらに精進地元出身・女性落語家
―江戸時代に誕生した伝統芸能、落語はその歴史的背景などからまだまだ「男性社会」とも言われていますよね。
美馬「はい。ただ、徐々にですが女性落語家も増えつつあると思います。今はちょうど相模原出身の女性落語家が私を含め3人(古今亭佑輔さん、立川のの一さん)、活動していて切磋琢磨しながら『相模原発』での落語文化の広がりに力を入れているところです」
赤間「先日は令和6年度NHK新人落語大賞(24年10月)にも出演されていて。大変な活躍ぶりですね」
美馬「ありがとうございます。一昨年に二ツ目という立場に昇進してから落語家として大きな転機を迎えました。この世界では、修行期間である前座を終え、やっと一人前として活動できるようになりますが、そこに至るまで6年かかりました。修行中は師匠の元で身の回りの世話をしつつ、雑用から舞台の準備まで全てを担う生活でした。収入はわずかな日当をいただける程度です。それでも、厳しい環境の中で多くのことを学ぶことができました」
赤間「大変な境遇でも続けてこられた。そこまで引き込まれる落語の魅力は何ですか」
美馬「私が落語に出会ったのは、大学時代です。たまたま大学の落語研究会を見学したのですが、そこはボロボロの畳とこたつとファミコンがある世界で...。でも、その雰囲気は嫌いではなかったのです。そんな環境でダラダラしている(笑)先輩が落語の時間となると着物に着替えて『シャキッ』とする。そこにカッコ良さを感じて『自分もああなりたい』と思ったんです。それで文化祭で初めて舞台に立たせていただきました。私自身、ものすごい人見知りで、人前で話すのはとても苦手なのですが、勇気を出して高座にあがってみると、私の話に色々な方が笑っていたり喜んでくれたりして、あの達成感や満足感といったら...。それでぐっと引き込まれましたね」
赤間「基本的な質問ですがネタはどれくらいお持ちなのですか」
美馬「江戸時代から伝わる古典落語が30、新作落語は10くらいでしょうか。全然少ない方ですね。そのような中、落語を聞かれる方の年齢層は比較的高く、そう考えるとこれから20年、30年先はどうなるんだろう?って不安になります。そうするとやはり若い人に聞いてもらわなければいけない。ということで若い人に興味を持ってもらえるような新作には力を入れています。先日のNHKの際は、古典の『死神』を私なりにアレンジして話をしました。舞台を現在に変えて、主人公も女性にして。そんな挑戦もしました」
―一方、相模福祉村さんは昨年から施設の大規模な建て替えや新築が始まっています。
赤間「そうですね。相模福祉村も23年に創立40周年をむかえましたが、だいぶ施設も老朽化が見られるようになりました。それに伴い、障がい者支援施設『たんぽぽの家』(田名)、高齢者施設『柴胡苑(さいこえん)』(田名)は26年までに新しくします。また、これから先も施設の建て替えを予定しています。それと同時に進めているのが児童養護施設の新設です。場所は緑区原宿南で、行政のお手伝いとして社会的養護の必要性のある子どもたちの居場所を提供する予定です」
―節目の年を過ぎて、さらに精力的に活動をされている感じです。今後も社会を支える基盤づくりに期待がかかります。
美馬「実は私も福祉関係のお仕事をしたことがあるんですよ」
赤間「え、本当ですか」
美馬「学生時代、先輩の紹介で市内にある障がい者支援施設でアルバイトをしていました。一時ケアという形で、利用者さんを短時間お預かりし、一緒に遊んだり、お世話をする仕事です。最初は驚きの連続でした(笑)。でも、その中で利用者さんの個性に触れ、一人ひとりとの関係を築く楽しさを知ることができました」
―そもそも相模福祉村さんが障がい者支援を始められたきっかけは何だったのでしょうか。
赤間「父親(創設者の赤間一之代表)は新聞記者で、福祉の現状や課題を記事にしたことがあったんです。当時はまだ差別も根強く、障がい者を支える家族も大変な状況でした。そんな中、父親の記事を読んだ方々が『この方なら私たちの息子も助けてくれるのでは』と声をかけてきたそうです。こうして、自宅が支援の場となり、そこから色々な人が集まるようになりました」
―一緒に住まれたということですか。
赤間「はい。私たち家族も当初は驚きました(笑)。私はまだ小学生だったので、知らない人が家にいるのが不思議な感覚でしたね。ただ、そうやって幼い頃から障がいのある方々と接してきたので、大人になっても自然でした。最初は抵抗感もありましたが、慣れていくうちに『一人の人間として尊重することが大切』と感じるようになっていきました。とはいえ、今でも社会全体の理解が十分とは言えません。もっともっと一人ひとりの良さを認めていくことで、性別や背景、障がいの有無に関係なく、差別や偏見のない社会に近づいていかなければなりません」
美馬「おっしゃる通り。私が一緒に過ごす中で気づいたのは『障がいがあるから特別』というのではなく、ただ『個性の違い』であるということです。それを知ってからは、彼らと接することが自然に楽しくなりました。また、親御さんが『少しの間でも預けられる場所があることが本当にありがたい』と感謝されるのを聞いて、自分が役に立てていると実感しました。そのやりがいが続ける原動力になっていました」
赤間「それは素晴らしいですね。福祉に関わる中で、最も大切なことは『理解しようとする気持ち』だと思います。利用者さんやそのご家族の立場に立つことで、どんな支援が求められているのかが見えてきます」
―さて、お正月ですが、美馬さんはいつもどのように過ごされていますか。
「また『実は...』になるのですが、学生時代は市内の神社で巫女さんのアルバイトをしていました。「明けましておめでとうございます」と声をかけながらお守りを渡す仕事は、参拝される方々の新年への思いに触れることができて、とても心が洗われる経験でした」
―では最後に美馬さんにひとつお願いがあります。謎かけ「相模福祉村とかけまして」
美馬「はい。相模福祉村とかけまして『腕の良い床屋』とときます。その心は『より剃って(寄り添って)くれます』」
―ありがとうございました。では本当に最後に、今年のお二人の抱負を教えてください。
美馬「まず落語家としての実力をさらに磨くことを目標にしています。もっともっと色々な人に知ってもらえるよう、活動の場を増やしていきたいですね。また、相模原出身の落語家として、地元に恩返しができるよう、がんばりたいと思っています」
赤間「私たちの法人では、現在進行中の新規事業をしっかりと形にすることを目標としています。特に、子どもたちの支援施設の新設は、地域全体の未来にとって大きな意味を持つと考えています。また、職員の働きやすい環境づくりを進め、地域にとって『なくてはならない存在』であり続けられるよう努力していきます」
―お二人とも、素晴らしい目標をお持ちですね。お話を伺い、それぞれが相模原という地域に強い思いを持って活動されていることがよく分かりました。本日はありがとうございました。(2024年11月18日取材)
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