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さがみはら中央区・緑区 文化

公開日:2026.10.28

中央区上溝 老舗「喜村屋」を継承 明治から続く地に接骨院

  • 接骨院開店時の田村さん(右)と中丸さん(写真提供/田村さん)

    接骨院開店時の田村さん(右)と中丸さん(写真提供/田村さん)

  • 現在も「喜村屋」の文字が残る同ビル

    現在も「喜村屋」の文字が残る同ビル

  • 老舗「喜村屋」を継承 (写真3)

 中央区の上溝交差点西側で明治初期から150年以上にわたって親しまれてきた料亭「喜村屋」。その名を冠した「かみみぞ喜村屋接骨院」が8月、同店の歴史を受け継ぐ建物にオープンした。開業の背景には、施術を受ける客と施術者として出会い、親交を深めてきた2人の縁があった。

絹の道の休憩地最初の飲食店

 喜村屋は、初代が愛川町箕輪から上溝に移り住んだことをきっかけに始まったとされる。当時、八王子と平塚を結ぶ道筋にあった上溝は、生糸を運ぶ人や牛馬の休憩地点となっており、店では宿泊を受け入れながら料理を提供していた。名物の「肉鍋」は、豚肉と長ネギを独自のたれで煮込む一品。たれの作り方は代々継承され、都内や遠方からその味を求めて来訪する客も少なくなかったという。

 5代目の中丸康二さん(76)は「当時、この辺りで最初にできた飲食店がうちだったと言われている」と語る。かつては宴会を中心とした料亭として営業し、1993年ごろには現在の8階建てマンションビルに建て替えた。それからも20年ほど1階で居酒屋として営業を続けたが、約10年前に閉店となった。

 新たな縁が生まれたのは、中丸さんが訪れた接骨院で柔道整復師の田村海さんと出会ったことがきっかけ。約2年半にわたって通院する中で親交が深まり、食事に出かけるなど交流を重ねてきた。田村さんが独立準備を始めて以降も交流は続き、ある時、開業場所に悩んでいた田村さんに、中丸さんが同ビルを紹介。中丸さんは「最初は冗談のつもりだった」というが、賃料などの条件も踏まえ、正式に入居が決定した。

地域の食から健康へ

 中丸さんは当初、接骨院には飲食店のような名前はなじまないのではと考え、田村さんに別の名前での開業を勧めていた。しかし、上溝商店街振興組合の鈴木崇之理事長の「地元では知らない人のいない名前だから」というひと押しもあり、田村さんは喜村屋の名の継承を決めたという。長年地域で親しまれてきた屋号が、今度は地域の健康を支える場所に引き継がれた。

 田村さんは「ご家族で守られてきた大切な屋号を使わせていただけてありがたい」とし、「料亭『喜村屋』のように地域に末永く愛される院にしたい」と話す。料亭としての歴史を刻んだ建物で、新たな歩みを始めた喜村屋。その名は、地域の記憶とともに次の世代へと受け継がれていく。

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