昭和20年8月15日。旧満州東北部吉林のチドリというホテルに集められた。朝から太陽が照りつける暑い日であった。正午に天皇陛下の重大なお言葉があるとのこと、正座してその時を待った。
やがてラジオから玉音放送が流れてきたが、雑音が激しく、8歳の私には何を言っているのかよく分からない。隣にいた母に尋ねた。母は涙声で「戦争は終わったのよ。日本が負けたの…」と言った。その場には大人と子どもを含んだ50人ほどの男女がいたが、一瞬のうちに広間は静まり返って、あちらこちらからすすり泣き、嗚咽(おえつ)する人、みんな泣いていた。
この瞬間から内地に引き揚げてくるまでの1年2カ月、終戦と共にソ連兵の侵攻、武装解除、男の人は捕虜となり、シベリアに送られた。ソ連の歩哨(ほしょう)に監視され、逃げれば銃で撃たれる。道路の両側には、戦車や死体がゴロゴロ転がっている。
今のウクライナの情勢が77年前の状況と重なり、目を背けたくなる。
赤い夕日の大地に置き去りにされた子どもたち、ソ連兵の侵攻で命を落とした人、望郷の念を抱えながら無念の死を遂げた、あまりにも酷い運命を思うと、涙を禁じ得ない。
年を経て、あの戦争を知る世代も年々少なくなり、戦争を知らない人たちが人口の8割を占める昨今だ。第二次世界大戦では310万人を超える尊い命が戦火に散った。
8月15日は終戦記念日。一人でも多くの人に、この日を忘れないでほしい。
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