横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.05.29
三郎助を追う ~もうひとりのラストサムライ~ 第45回 文・写真 藤野浩章
大田区、洗足(せんぞく)池。周囲約1・2Kmほどという淡水池にはスワンボートがぷかぷかと浮かび、池の周辺では子どもたちの遊び声が響く。そんな都内屈指の公園の一角に、勝海舟夫妻の墓がある。
この辺りは、勝が晩年を過ごした場所。どうやら彼は江戸無血開城の交渉の際、西郷隆盛を訪ねる途中でここを通り、風光明媚な景観に惹かれたのだという。ここからすぐの場所に、大田区立勝海舟記念館がある。
彼の功績については謎が多く、歴史的な評価が難しい偉人の一人だ。本当はどんな人物だったのだろうか、その一端を知りたくて訪ねてみた。
本書で三郎助から見た勝は"狡猾(こうかつ)で日和見(ひよりみ)的"というところだろうか。大口を叩きながら実力が伴わず、長崎海軍伝習所でも皆が四苦八苦して勉強している脇で遊郭に入り浸り、門限を度々破り、挙げ句の果ては"現地妻"をもうけて合計4年近く長崎に居残ったという噂を呼ぶほど、素行に難があったとされる。
記念館では現在「海舟と蘭英 海軍伝習にみる外国交流」という特別展が開催されているが、そこで一つの資料に目が釘付けになった。何と、勝は老中・阿部正弘から密命を受け、オランダの情報を逐一江戸に報告していたというのだ。
オランダ人教師との深い交流や出島(でじま)への入り浸りは、スパイ活動も含んでいたのか。しかもこの後"オランダ外し"によりイギリスが日本海軍に深く関わっていくのだ。安政4(1857)年8月に阿部が死去した後も、開国派の堀田正睦(まさよし)、井伊直弼(なおすけ)に長崎発の情報は送り続けられていた。
勝は一体、何を見たのだろうか――三郎助には、知る由もなかった。
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