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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.07.17

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第52回 文・写真 藤野浩章

  • 江戸城桜田門(東京都千代田区)

    江戸城桜田門(東京都千代田区)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

「死んだ人には悪いが、お蔭で二十年ほど逆戻りしていた世の中が、また元に戻った。いや、五年ほども進んだというのかな」

 桜田門の一件は瞬く間に全国に広がり、攘夷派はもちろん朝廷も俄(にわか)に活気づき、幕府は井伊を引き継いだ老中・安藤信正と久世広周(くぜひろちか)のいわゆる安藤・久世政権の元で公武融和に舵を切るしかなかった。朝廷は幕府の反対を押し切って直ちに改元して「万延(まんえん)」が始まる。これは黒船以来の混乱に加え、前年の江戸城本丸を焼いた火災、そして桜田門外の変など不吉な事が相次いだことを、孝明天皇が重大視した「災異(さいい)改元」だった。

 そんな中、アメリカから勝海舟らが築地の操練所に帰ってきた。咸臨丸のメンバーたちはもちろん国内の大事件を知らなかったが、浦賀に着くなり奉行所の役人が「船中に水戸藩士がいないか」と真っ先に聞いたことで、政変を把握する。冒頭は勝が三郎助と交わしたセリフだが、出港時と帰港時で180度違う状況に、誰もが少なからず危機感を抱いただろう。すでに幕府が泥船になっているのは明らかで、あとは"各自がそれぞれの場で、どう生きていくのか?"が問われる事態。もはや日本を政治的に率いていくシンボルは朝廷だけになっていたとも言える。幕府をどう終わらせ、朝廷を誰が担いで新しい世を創っていくのか。そのチキンレースが始まった、と言っても過言ではないだろう。

 カギは幕臣だった。勝は新しい日本の姿を描き、小栗は幕府権威の復活に賭けた。そして三郎助は――しかし彼に立ちはだかったのは他でもない、自らの身体だった。

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