横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.06.05
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第46回 文・写真 藤野浩章
「広く日本を見れば、秀れた人材は多くいるのだ」
◇
勝海舟の"やんちゃ"ぶりを尻目に、三郎助をはじめとする学生たちは、慣れない学問に果敢に立ち向かい、何とかモノにしようと悪戦苦闘していた。それはもちろん、傾きかけた幕府を海軍の力で立て直すという壮大なミッションのために他ならない。
しかし各地から参集した伝習生たちは実に多士済々。本書は冒頭のセリフの後に「これまで徳川幕府が即ち日本であると思いこんできたことにも疑義を覚えるようになった。直参だの陪臣(ばいしん)だのと差別する幕府の考えは偏(へん)狭(きょう)で、時代にそぐわないものに思えた」と彼の心の内を解説する。
例えば佐賀藩。一期生では後に日本赤十字社を設立する佐野常民(つねたみ)ら48名が集まり、三期生では"からくり儀右衛門(ぎえもん)"と呼ばれ、後に東芝の基礎を築いた田中久重(ひさしげ)が参加。藩主・鍋島直正(なおまさ)の号令の元、圧倒的な技術革新を成し遂げ、明治維新に至るのだ。
幕府側では、第二期で後に勝海舟と合わせ"幕末の三舟(さんしゅう)"に数えられる木村芥舟(かいしゅう)(喜毅(よしたけ))が長崎に入る。彼と勝は方針をめぐり対立していたようだが、後に二人は咸臨(かんりん)丸で太平洋を渡ることになる。そして忘れてはならないのが、最初は聴講生として参加した榎本釜次(かまじ)郎(ろう)、後の武揚(たけあき)。三郎助と彼の友情は数年後の函館に繋がっていく。
長崎海軍伝習所のメンバーはまさに"幕末オールスター"。彼らの交流を本書は青春ドラマのように鮮やかに描いていく。しかし、そんな濃密な三年間を終え浦賀に戻った三郎助が目にしたのは、幕府崩壊の狼煙(のろし)だった。
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