戻る

藤沢 文化

公開日:2023.01.20

将軍が宿泊 地名に名残
家康ゆかり「藤沢御殿」って?

  • かつて「藤沢御殿」があったとされる藤沢1丁目周辺(上)と御殿があったと推定される範囲のイメージ図(第32回江戸遺跡研究会・宇都洋平さんの資料を基に作成)

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の放映が始まり、主人公・徳川家康にちなんだ場所や史跡に注目が集まっている。実は藤沢市にも、家康ゆかりの場所がある。東海道五十三次の藤沢宿が設置される前の慶長元(1596)年には存在していたと推察される「藤沢御殿」だ。どんな場所だったのか、ひも解いた。

     ◇

 藤沢橋から西に徒歩10分ほど、国道467号線から1本道を隔てた住宅地の一角に空地が広がる。元々藤沢公民館があった場所で、かつてこの場所を含む一帯に藤沢御殿が築かれたという。

 元禄11(1698)年に作成された「藤沢御殿跡絵図」によると、東西86間(約156m)、南北39間(約70m)。敷地面積は約1・1haで、サッカーのグラウンド約1・5個分に相当する。

 市郷土歴史課によると2000年8月、共同住宅の建設に伴う確認調査で溝を確認。御殿西側の堀の一部と考えられる。

28回利用も廃止

 御殿は、家康が上洛の際に使用する目的で築かれた宿泊施設。江戸初期の見聞集『慶長記』には慶長5(1600)年6月に藤沢に滞在し、鎌倉を遊覧した記録が残るほか、同年9月には関ケ原の戦いの際にも立ち寄っている。市内の歴史研究家、平野雅道さんによると、家康から3代将軍・家光の時代まで計28回利用されていたという。

 しかし、参勤交代が始まり将軍が上洛しなくなると御殿の重要度は低くなり、次第に利用頻度も減っていった。藤沢御殿が廃止された時期は不明だが、同課によると、寛永11(1634)年に家光が宿泊したのが最後の記録とされる。その後江戸で発生した明暦の大火(1657年)に伴い、御殿の建材は復興に充てられたという。

 建物の痕跡はほとんど残されていないが、藤沢御殿があった藤沢1丁目周辺には「御殿辺」「御殿橋」「陣屋小路」「陣屋橋」などの地名が残る。同課は「家康が江の島を訪れ、休憩したという記録もある。かつて家康が目にしたであろう景色に思いをはせてみては」と話した。

ピックアップ

すべて見る

意見広告・議会報告

すべて見る

藤沢 ローカルニュースの新着記事

藤沢 ローカルニュースの記事を検索

コラム

コラム一覧

求人特集

  • LINE
  • X
  • Facebook
  • youtube
  • RSS