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麻生区 コラム

公開日:2023.07.07

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」柿生小学校の移転その1【1】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 柿生現在地に完成した柿生小学校校舎全景

    柿生現在地に完成した柿生小学校校舎全景

  • 柿生坂の上の校舎とお別れ会

    柿生坂の上の校舎とお別れ会

◆柿生小学校片平へ◆

 戦後の新制度下の柿生小学校は、明治35(1902)年に白井義胤氏のご寄付を得て新築された義胤高等小学校の校舎と、その後に増築された校舎を使っていました。昭和22(1947)年の柿生中学校の創立時に、中学校に一時的に提供した校舎は増築部分で、義胤高等小学校以来の校舎が、いうならば本館の役割を果たしていたのです。敗戦から10年が経過し、昭和30(1955)年を迎える頃には、戦後の混乱も落ち着き、団塊の世代が続々と小学校に入学してきます。当然校舎の増築も必要になりますし、何より建築から50年以上が経過した本館の建物の老朽化が目立ち、校舎の建て替えが話題に上るようになりました。

 ここに山の上の現在地の敷地面積が、1741坪あっても崖面積が半分近くを占め、校舎とグランドに使用できる平地は881坪しかなく、平地でより広い敷地を確保できる土地を探して新築移転してはどうかという案が、浮かびました。そこで山の上の小学校の跡地は、狭いグランドで苦労している柿生中学校の運動場にする案を当局に示して、了解を得たのです。そこから移転用地の確保をどうするかなど、移転問題が柿生小学校の最重要課題となったのです。柿中と東柿生小の校長のお知恵も借り、地域で活躍している卒業生、PTA歴代会長、歴代校長など30名近い皆様にお集まりいただき、「柿生小学校改築期成同盟会」を立ち上げ、用地の選定、買収、そして校舎の設計などまで、全てにお知恵をお借りしたのです。とりわけ用地の選定と買収交渉は、地元の方を頼るしかなかったのです。    (つづく)

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