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麻生区 コラム

公開日:2024.02.02

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」そして「思い出の丘」(その2)【7】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • (右)白井錠次郎先生頌徳碑。「思い出の丘」の臼井義胤氏頌徳碑のすぐ脇に並ぶように建っています(左)白井錠次郎先生

    (右)白井錠次郎先生頌徳碑。「思い出の丘」の臼井義胤氏頌徳碑のすぐ脇に並ぶように建っています(左)白井錠次郎先生

  • 青戸四郎右衛門先生

    青戸四郎右衛門先生

  • 柿生文化を読む (写真3)

 下麻生学校は2年後の大正15(1926)年に、手狭になった校地を離れ、現在の東柿生小学校の地に移転します。昭和22(1947)年に誕生した東柿生小学校の児童は、学校から徒歩2分程の青戸家を毎年訪問して、青戸先生について学習していたのですが、報恩碑が平成18(2006)年9月に青戸家から東柿生小学校に寄贈されたため、現在は小学校の正面玄関前で大切に保存されるようになっています。

 青戸先生報恩碑は、東柿生小学校の地域学習と郷土の歴史学習の両面で、學校の教育プログラムにしっかりと採り入れられています。それに比べて「思い出の丘」はどうでしょう。柿生小学校の卒業生たちは、昭和48(1973)年に創立100周年の記念事業の一つとして、「思い出の丘」の碑を立てました。その後も荒れたままの寂しい丘に、戦後この地に誕生した柿生中学校の卒業生たちが、昭和62(1987)年に創立40周年の記念事業として「思い出の丘」を整備し、柿生の教育の由緒を語る聖地にしようとしたのです。

(つづく)

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