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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.08.07

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第55回 文・写真 藤野浩章

  • 生麦事件碑(横浜市鶴見区)

    生麦事件碑(横浜市鶴見区)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

「散々世話になったあんたに、そんなもの言いされたんじゃ、くすぐったくていけねえよ」

 セリフの主は、もちろん勝海舟。軍艦奉行並、言わば防衛次官のような要職に就いていた勝に三郎助がものものしい言葉遣いをした場面だ。

 朝廷から攘夷の実行を言い渡された幕府が将軍家茂(いえもち)を上洛させて奉答する際に船を使うことになり、御座船「蟠竜(ばんりゅう)丸」の航海長格として三郎助に白羽の矢が立ったのだ。オランダ留学中の「(榎本)釜次郎の代役では役不足かもしれんが」と気遣う勝に、三郎助は快諾する。体力が回復しつつあった時に、将軍上洛の随行という重責が舞い込んだのだ。彼の気力はみなぎったに違いない。

 それにしても、朝廷が直々に外国排除を指示するとは、今ではなかなか理解しがたい事態だ。しかし当時、世情不安は開国が原因だと多くの人が思っていた。しかもロシアによる攻勢もあり"日本が外国に占領される"という漠然とした恐怖があったのだろう。長州や薩摩は朝廷を巻き込んでそれをうまく倒幕の足がかりにしたが、結局、誰もその"恐怖"を解決する術(すべ)を持ち合わせていなかったのだ。

 そしてついに、現実の脅威が訪れる。文久2(1862)年8月に起きた生麦事件で被害を受けたイギリスは、賠償金を要求するなど態度を硬化。東京湾に艦隊を派遣して圧力をかけたことで、沿岸の村々はパニックに陥る。家茂の上洛は陸路に変更され三郎助は落胆するが、彼はある決意をする。

 そして、さらに大きな構想を持つ人物とついに対面する。勘定奉行、小栗上野介だ。

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