はだのっ子 いま・みらい 教育寄稿第33回 挨拶は人を繋ぐ接着剤 内藤 美彦
昭和40年代に本町小学校で「はあすご」という挨拶運動が盛んに行われていました。先だって、友人がこれを復活したらと提案したのです。病院などで名前を呼ばれても返事をしない。買物しても黙って品物を受け取るだけという状況に、人の心が伝わらない空しさを感じるというのでした。
「はあすご」とは「はい」「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」という言葉を交わす機会を増やし、人間関係を円滑にすることから生まれました。この言葉は、相手の行為を認め、自分の非を知るという意味合いもあったようです。
好ましい活動でしたが、消滅した理由の一つに「はあすご賞」を出したことがあります。賞欲しさに意味もなく、むやみに「はあすご」を口にするようになったのです。こうして挨拶の心を失ってしまいました。
挨拶は、お互いの存在を認め、共生の喜びを感じるためのものではないでしょうか。人と出会えば「よいお天気ですね」とか「暑いですね」と声をかけます。天候など誰もが同じに感じていることを口にし、共通な思いをしていると親近感を深めるのです。
態度で示す挨拶もあります。握手をする、頭を下げるなどです。西欧で生まれた握手は、お互いの右手を握ります。つまり、相手の利き腕を押えることで攻撃を防ぎ、自分も攻撃しないことを示し、安全を確認したのが始まりだそうです。日本では、急所である頭を相手の前に下げます。これは相手を信用している証しなのです。発生の理由はともかく、その動作は親愛の情を表わしています。
別れの挨拶は、中国では「再見」(またお会いしましょう)、韓国は「アンニョンケセヨ」(安穏でいてください)、「シーユー」(また会おう)とか「グッバイ」(神と共に)と英語で言います。いずれの言葉も別れを惜しみ、相手を気遣う心情が伝わってきます。
ところが「さようなら」は(左様であるなら仕方ない、別れよう)が語源で、意見が違うから決別と、あまりに素っ気ない言葉です。それが一般化したのは、言葉の響きが快いからだと思います。挨拶は心の琴線に触れて深みが出、繋がりも強くなるのです。簡単なやり取りでも、相手への心遣いの滲む工夫をしましょう。
■プロフィール
横浜国立大学卒業。秦野市立小学校教諭。秦野市立本町小学校校長。秦野市教育委員会教育長を歴任。
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田原ふるさと公園野菜直売研究所0463-84-1281/そば処東雲0463-84-1282 https://www.kankou-hadano.org/pointinformation/pointinformationguide/point_tawarafurusatokouen.html |
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