はだのっ子 いま・みらい 教育寄稿第47回 人は神になれるし悪魔にもなる 内藤 美彦
去る7月、アメリカコロラド州オーロラの映画館で銃乱射事件がありました。12人が亡くなり、58人が負傷したそうです。楽しく映画を鑑賞していた人たちに突如襲った暴挙、あまりにも悲惨な出来事でした。その銃弾の嵐のなか、恋人の体を覆って、自らの命を落とした青年のことが報道されました。
自分の利益しか考えない人の多い世の中で、この行為に驚き、感動で心が震えたのでした。この話で思い出したのが、悪名高きアウシュビッツ収容所でのコルベ神父のことであります。
それは、収容所で脱走者がいたため、無作為で10人が選ばれ、餓死室へ送られるのです。その中に「妻も子もいる、死ぬのは嫌だ」と泣き叫ぶ男がいました。それを見た同じ収容者のコルベ神父が、身代わりとなったのでした。第2次世界大戦が終わって、そのことがわかり、愛のために命を捧げたとして、最高の聖人の位が贈られました。
鹿児島の知覧特攻記念館を訪れると、太平洋戦争末期、特攻隊として若い命を散らした人たちの多くの遺品が陳列されています。それらは、国のため、同胞のため、愛する家族や人々のために尊い命を捧げた若人の心情を伝え、涙を禁じ得ません。命を捨てて、人に尽くす崇高な行為にはただただ頭が下がります。ホームから落ちた人を救うため、線路にとび降り、自分の命を失った人もいました。
他者のために、自らを犠牲にした事例は、古今東西、枚挙にいとまありません。人間は、このように自己犠牲ができる偉大な、誇り高い存在なのです。ところが、命を捨てて人に尽くす美談が生まれるのは、危機的な、あってはならない状況の時であります。異常な事態に起きることなのです。
そして、その危機的状況は、自然災害を除いて、大部分は人間が引き起こしています。銃乱射事件、アウシュビッツ収容所の運営、太平洋戦争や特攻作戦など、人間のしっかりした意志があれば、全て避けられたことであります。
人間は、他者を救える神にもなれるし、人を傷つける悪魔にもなってしまうのです。人の心には、善なるものと悪なるものが共存しています。常に、善を鼓舞し、悪を押え込む自律の精神を育てていきたいです。
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田原ふるさと公園野菜直売研究所0463-84-1281/そば処東雲0463-84-1282 https://www.kankou-hadano.org/pointinformation/pointinformationguide/point_tawarafurusatokouen.html |
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