市民の間で長きにわたって親しまれている「座間音頭」。6月30日(日)に講習会「みんなで踊ろう座間音頭」が開催されるのを前に、本紙では、1番から9番までの歌詞に着目。今回は、1番と2番で語られるふるさと・座間に迫った。(3番から9番については、次号以降で順次紹介)
制作は1956(昭和31)年。座間市公民館(当時は座間町公民館)の開館1周年を記念して作られた。時はちょうど高度経済成長期に突入する頃。全国的に人口が急激に増加し、町の様相が劇的に変化していた。座間市(当時は座間町)もその例外ではなく、1955(昭和30)年に1万3197人だった人口は、60(昭和35)年には1万5402人、65(昭和40)年には2万9948人と、わずか10年間で倍にまで膨れ上がった。少子高齢化が進む現代では信じ難い増加率である。
そんな中つくられた座間音頭には、この先変わっていくであろうふるさと・座間の情景を歌詞に盛り込み、残すことで、市民の心を一つにするねらいがあったと見られる。
音頭の作詞は鈴木英夫氏。作曲は関頼政氏で、小沢直与志氏が編曲を担当している。作詞を手掛けた鈴木氏は、座間市出身者で、童謡「雨ふり」や「からたちの花」などで知られる詩人・北原白秋の弟子である。1番から9番までの歌詞には、現代にも残る座間の様々な情景が散りばめられているが、それだけにとどまらないのがこの音頭の特徴。昔ながらの風景だけでなく、変わりゆく町の象徴も盛り込まれ、9番ではロマンスが歌われ、まさに「北原白秋らしい」歌詞で終わる。
星の井戸
1番に登場する「星の井戸」は聖武天皇の時代、行基が諸国教化の際に、当地で「金光星の如く山谷に輝くのを見て」聖観音の像を彫刻し、堂宇を営み、星の谷観音堂として創建した星谷寺(入谷3の3583)に今も残っている。その星の谷観音の霊異で日中でも井戸の中に星が見えると言い伝えられている。
時を告げる宗仲寺の鐘
2番に登場する「宗仲寺」(座間1の3300)は、1603(慶長8)年に、徳川家康の重臣で、時の領主・内藤清成によって源栄上人を開山として創建された。家康が鷹狩りに出かける際に立ち寄ったとされ、家康の霊柩を久能山から日光に移された際には、その一行が境内で休息したとされている。歌詞中にあるように、同寺の鐘は当時、朝と夕方の1日2回、寺の職員によって撞かれ、地域の人々に時を告げていたといい、「早く鳴らぬか」には「鐘が鳴れば、仕事(農作業)を終わりにできるのに」という市民の思いが映されていると見られる。鐘は1943(昭和18)年には太平洋戦争のため供出され、現存するのは1953(昭和28)年に再鋳されたもの。現在も、檀家によって毎朝6時に撞かれ、地域の時計の役割を果たしている。
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