明治に設立 「特別な」
設立は1898年(明治31)。数ある高尾山薬王院の講社の中でも「長い歴史を持つ」部類に入るのが、「高尾山有信講(ゆうしんこう)」だ。
南浅川にあった「獅子講」と裏高尾にあった「養蚕開運講」が併合し発足した。当時は養蚕、陸稲や林業で生計を立てる人が多く、豊作や家内安全を願い、感謝の気持ちを込めて登山していたそう。
発足時は100人程度だったと推測されている。昭和40年代までは「地元」旧浅川町周辺の人の参加が多かったが、その後、講員は町田市や相模原市へも広がり、最も増えた時期は400人を超えたそう。登山日は、かつては4、9月の年2回だったが今は「9月3日」の1回と決まっている。
「地元の講中ということで、御本尊様のご加護に浴するということだけでなく、『地元の誇りとしてご本尊様をお守りしていこう』と考える講員が多かったのでは」と、かつての先達は記録している。大山隆玄貫首は「地元中の地元、特別な講中である」と評している。
清々しい気持ちに
「本堂で護摩修業を受けると、終わったあととても清々しい気分になるものです」。講元を務める町田照良さん(町田商店=高尾町)は講社参拝の魅力についてそう話す。先達は上村公昭住職(金南寺=西浅川町)。共に6代目となる。町田さんは「これからも多くの講員と登山し、お山の発展に尽くしていきたい」と語った。