八王子版 掲載号:2016年1月1日号
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野猿街道に「申(さる)」はいたのか 名前の由来を探る

社会

 申(さる)年を迎えた。八王子市民なら、猿と聞いて「野猿(やえん)街道」=上写真=を思いおこす人は少なくないのでは。しかし、その名前の由来を尋ねると「猿が居たからでは…」と口ごもってしまう人が多い。由来を探った。

 「なんで野猿なのか、その理由は聞いたことがないね。名前にインパクトがあるので、道を説明するのには役立つけど」。野猿街道沿いで蕎麦店を開く宮下厚志さんはこう話す。同街道は「東京都道20号府中相模原線」(府中市〜相模原市間)と「東京都道160号下柚木八王子線」(八王子市)を指す。国道16号線、国道20号線を結ぶ、八王子市民の生活には欠かせない主要道路だ。

 90年代後半には、お笑いコンビ「とんねるず」が同街道沿いの建物名から名称を採用し、「野猿」という音楽ユニットを組んだことから注目を集めたこともあった。

「甲」と間違えた?

 「猿とは関係なく、漢字を間違えてこの名前がついた説があるんだよ」と話すのは、市内の歴史を中心に研究にあたる「由木つむぎの会」の平野雄司さん(77)=同写真=だ。

 戦国時代、滝山城城主の大石定久と、その養子であった北条氏照が勢力争いをし、その戦いに敗れた定久は切腹。今の野猿峠付近(下柚木)に定久の墓がつくられ、その場所から埼玉県にある武甲山が見えたため、「甲」という文字を取り、墓のある周辺を「甲山(かぶとやま)」と呼ぶようになった。その名が「野猿」という名称の発端になっている可能性が高いと平野さんは話す。「甲山は甲山峠として定着していったのですが、江戸時代を過ぎる頃には、甲が『申』と誤って伝わり、『猿丸峠』(猿丸通り)として地域に馴染んでいったようです」。平野さんは様々な文献からこのように分析している。

63年から通称に

 さらに、「野猿」という名称に変わったのは、1940年代後半頃。京王グループ(多摩市)が現在の野猿峠付近にハイキングコースをつくった際に「野猿峠」とうたったことが最初ではないかという。「当時の資料が残っていないので正確なことは分かりません」(同グループ広報担当者)と誰が名づけたのか確証はないものの、平野さんによると、同グループOBがまとめた書籍に「”ロマンスコース野猿峠”のキャッチフレーズでハイキングコースをPRした」と記してあるそうだ。

 「大栗川(おおくりがわ)周辺に、現在ある川の名前を表す看板は『おおぐりがわ』となっている。現代でもこのような間違いがあるのだから、パソコンなどがない時代ではしょうがないのでは」と平野さんは笑う。

 都道を管理する東京都によると、60年代初めから、「親しみやすい」名前を道につけることで交通の利便性を高めようと、通称を主要道路につけるようになったという。「甲州街道などもそうです。都道160号線周辺には『野猿』という名称が地域に定着していたため、63年頃からその通称を使うようになりました」と都担当者は説明している。

「猿みたことない」

 では、野猿街道には猿がいなかったのか――。街道沿いの由木地域で生まれ育った小川修さん(74)は「見たことがないね。私の父や祖父からも、街道近辺に猿がいたとは聞いたことがない。狸やハクビシンは今でもいるけど」と話す。東京都獣医師会八王子支部の河合博明支部長は「市北西部の美山町などには今も猿はいるが、野猿街道辺りでは聞いたことがない。ただ、由木地域周辺は自然環境もいいので、住んでいた可能性はある」としている。

現在の在住者は?

 野猿をのざると読むべからず。――というユニークな看板=下写真=を同街道沿いに掲げる不動産会社「株式会社エスエストラスト」(横山町)の前田友香里さんによると、同街道周辺には現在、市内の大学に通う学生や、単身者が住むことが多いという。「八王子市街地などと比べると、賃料が安いので、あまり空室がない状態です。比較的交通量が多い道路なので、騒音などに敏感な方は避ける傾向がありますね」と話している。

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