主にJR中央本線の新宿―松本駅(長野県)間を走る特急「あずさ号」が12月、運行開始50周年を迎える。東京と山梨、長野両県を結ぶ役割を果たしてきた「あずさ号」。八王子の発展にも寄与してきたようだ。
「今で言うと、新幹線が開通するような大きな事柄だったね」――。八王子市長を1984年から4期務めた波多野重雄さん(90)はあずさ号開通時(66年)の様子をこう振り返る。
当時は市内で税理士として活動していた波多野さん。「あずさ号が誕生する」との報を受けると、八王子商工会議所や市内企業の代表者らと共に、八王子があずさ号の停車駅になるよう誘致活動に取り組んだ。「『あずさ会』と名前をつけて、みんなで当時あずさを所管していた国鉄などとの交渉を重ねていたよ」。その情熱が実り、あずさ号が八王子に停まるようになると、山梨方面からの上京者などが増え、八王子がより活気づくきっかけになったという。
また、あずさ号の開通によって、市と織物の原材料である生糸の生産地山梨・長野両県とのつながりが深まったことは、機屋が多かった当時の八王子に「プラス」に働いたようだ。
波多野さんが市長に就任すると、あずさ号は八王子と山梨との「交流の懸け橋」の役割も果たした。波多野さんが、夏に開かれる「八王子まつり」に当時の山梨県知事らを招き、交流を深める一方で、甲府市で開かれる祭りに波多野さんが参加するなどした。
「あずさが八王子に停まることになって本当に良かったよ。私にとって、あずさは八王子の発展の象徴だね」
東京への入り口に
一方で、山梨県人にとってあずさ号は、東京へ向かうための「必需品」となっているようだ。
山梨中央銀行支店に通うため、市内で単身赴任生活を送る笠井研一さん(42)は、週末に妻と子どもが待つ甲府市の自宅に帰宅するためにあずさ号を活用している。「少しでも早く帰りたいので、金曜の夜にあずさ号を使っている。車と異なり、眠ることができるので疲れを取りながら帰ることができる点が良い」と笑顔で話す。
笠井さんによると、あずさ号を上京するための「代名詞的な」乗り物と捉えている山梨県人は多いという。笠井さんも、甲府市の自宅からあずさ号に乗り込むと「仕事モード」に気持ちが切り替わるのだという。「リニアが甲府―八王子間に開通したとしても、料金が比較的安くて愛着のあるあずさに乗りたい。今後も”生活路線”として走り続けてもらいたいですね」と笠井さんは話している。
ビジネス特急の顔も
鉄道車両などに関する研究を行っている明星大学(日野市)理工学部の石田弘明教授(58)は「あずさ号は、東京方面から富士やアルプス方面へ向かうための観光列車であると共に、東京にある本社と山梨、長野の工場とを結ぶビジネス特急という性格もある」とし、山梨・長野方面へ向かうために、神奈川や埼玉などから八王子を経由してあずさ号を利用するケースも少なくないことから、あずさ号が他県からの集客、八王子の認知度向上に貢献してきたのではないかとしている。
記念イベントを実施中
「あずさ号」を運行するJR東日本八王子支社(旭町)は現在、アニバーサリー列車を発車するなど、あずさ号の50周年記念イベントを開催中。JR八王子駅構内では、あずさ号の写真や、あずさが通過する中央本線の乗務員お薦め景観スポットを紹介するコーナーなどが設置されている。詳細は、同社八王子支社HPを参照のうえ。
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■特急あずさ号…1966年12月12日に新宿―松本駅間で運行開始(1日2往復)。77年に発売された音楽グループ「狩人」の楽曲「あずさ2号」のヒットで一躍注目を浴びる。16年3月現在は1日30往復(スーパーあずさ・かいじ含む)。東京駅や千葉駅に停車する車両もある。
石田教授によると、あずさ号の名称は、長野県・上高地を流れる梓川の名前にちなんだもので、地名を冠した特急電車愛称の「はしり」と言われているそうだ。
また、曲線区間が多い山間部を走るあずさ号の定期列車として使用されている「E257系」は、通常、屋根裏に設置されている冷房装置を床下に配置し、低重心化を図って曲線通過性能を高めているという。「あずさという名は、高原樹木の別名でもあり、その音の響きなどから、澄んだ青空、凛とした空気、アルプスの山々が思い浮かぶ。私の好きな列車のひとつです」と石田教授は話している。
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