東日本大震災からまもなく8年。今も各地で様々な支援が行われている中、都立富士森高校(長房町)吹奏楽部は、2014年から毎年、夏休みを利用して被災地でのコンサートを開催している。直接現地を訪れて「対等な心と心の交流」を続ける理由を、同部顧問の田戸正彦教諭らに聞いた。
顔の見える活動したい
道のりは、圏央道の開通で1時間早くなったものの八王子から片道5時間半かかる。公民館で雑魚寝をして1泊。資金はチケット売り上げなどで調達している。
震災から5カ月後、最初の被災地でのコンサートを行った。場所は、被害が甚大であるにも関わらず、当時はあまり報道されていなかった宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区を選んだ。当時30人の部員がゆりあげ港朝市で演奏し、津波で3人の部員の命が失われた閖上中学校吹奏楽部と交流した。
その後も閖上中とは手紙のやりとりはあったものの、資金不足から直接赴くことはなかった。
再度訪れるきっかけになったのは14年の3月、富士森高の田戸正彦教諭が閖上中の宮本静子教諭から「全国から千羽鶴や応援メッセージが送られてくるたびに、お礼を書いたりしているが、常に激励に応えなくてはならないという状態に生徒は耐えられない。心が荒んでいく」という話を聞いたとき。田戸教諭は「一方的な『支援』ではなく、対等の交流で心と心が触れ合うものでなくてはいけない」と、無理をしてでも被災地に行く活動を模索した。
6月には部員5人を連れて閖上中を訪問し、8月には部員70人全員で3年ぶりにコンサートを開き、中学生と交流した。宮本教諭から「こんなに笑った子どもたちを見るのは久しぶり」という感想をもらった。このときには閖上中吹奏楽部は生徒不足から廃部が決定していた。
翌年からは仮設住宅でも、17年には閖上中の全校生徒の前でも演奏した。昨年は、一貫校として生まれ変わった閖上小中学校でのコンサートも行った。演奏後はプレゼントを手渡ししながら雑談を交わすなどの触れ合いも。「行ってあげているのではなく、行かせて演奏させていただいているという考え方」と田戸教諭。
音楽を身近に
閖上小中には、津波で使えなくなった代わりとして、世界中から送られてきた楽器が倉庫で眠っている。しかし、児童・生徒数はまだ少なく吹奏楽部はない。「楽器に興味を持つ子を増やしたい。将来的には吹奏楽部が復活してくれれば」と田戸教諭。富士森高の宮城県復興応援係を務める関根遥香さん(2年)は「知っている曲がかかると『アンパンマンだ!』などと声に出してくれたりと、素直に楽しむ姿が見れて嬉しかった。校門の外まで出てきて手を振ってくれたりと温かかった。『1年の中で1番、音楽をやっていて良かったと思う瞬間』と言う部員は多い。私も含めて」と話す。
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