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名家のルーツを探る 「渋谷家の千年」【1】

相模大野駅周辺商店会連合会会長・渋谷直樹
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江戸時代初期の建築様式をとどめる都内でも代表的な建築物。渋谷区指定文化財
江戸時代初期の建築様式をとどめる都内でも代表的な建築物。渋谷区指定文化財

 渋谷駅は毎日約200万人が往来するターミナルだが、駅前の一角(警察署の裏)に神社があるのをご存知だろうか?

 金王八幡宮(=写真)というこの社は幕末まで「渋谷八幡」の名で親しまれ、江戸時代には、田畑の広がるこの長閑な村の中心だった。現在の渋谷区という地名もここから来ている。

 全国に”渋谷”と名のつく地名は多い。神奈川県にも大和市高座渋谷がある。さて高座渋谷は東京の渋谷と何か関係があるのか?また、相模大野周辺には渋谷姓が非常に多い。「渋谷さん」と東京の渋谷はどんな関係があるのか?実は、全ては渋谷氏一族の栄華衰退に繋がっているのである。

 この度、当紙の御好意で渋谷氏一族を通して地元相模大野の昔と今、特に西側地区再開発によって変わる将来について考えてみる機会を頂いた。予てから集めていた資料と新たな取材を加え、数回に分けて千年に渡る物語を、エピソード毎に取り上げてみることにした。なお平家物語や平治物語、吾妻鏡、日本書紀、各市町村の市史や能、浄瑠璃、歌舞伎に渋谷姓が登場するが、文献ごとに登場人物が前後する。ここではそれらを踏まえた上で金王八幡宮社記(以下社記と言う)を中心に話を進めたい。

 平安末期の『平家物語』は平氏と源氏の争いだと勘違いされていることが多い。然しながら平家物語とは平家と源氏方との戦いで、多くの平氏が源氏の下で平家(平清盛方)と敵対したとご理解頂きたい。

 「平」や「源」は皇族が臣下に下る時に賜る氏である。渋谷氏の源流は桓武天皇(737―806)の曾孫である高望王が「平」姓を賜ったことにはじまる。その後の秩父平氏へと続き、社記によると秩父平氏の末裔・平武綱は後三年の役の大功で「河崎土佐守基家」という名と、武蔵国豊島郡谷盛庄(現在の渋谷区周辺)を賜った。基家はそこに城を構え敷地内に氏神を祀る八幡(現在の金王八幡宮)を鎮座した。さらに基家の嫡男・重家は禁中の警護の任にある時、押し入ってきた賊を捕らえた功で渋谷の庄をも拝領した。これは現在の綾瀬市、大和市、藤沢市、相模原市周辺にあたる。

 重家は居を渋谷の庄に移して城を築いた。この城蹟が今も綾瀬市役所の裏手に城山公園として残っている。歴史上は重家の嫡子・重国(鎌倉時代初期の武将)の代に初めて河崎姓ではなく”渋谷”姓が登場する。渋谷家のはじまりである。

 なお、今年は渋谷金王八幡の鎮座920年祭が9月に行われる。最終日の全町会神輿の宮入りは祭り好きでなくとも見もの(http://www.geocities.jp/ynycr674/)。    続く
 

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