もうすぐ73回目の終戦の日を迎える。市内の経営者に当時の記憶をたどってもらった。有料老人ホーム「シルバービレッジ」などを運営する(株)シルバービレッジ(暁町)の会長・石井征二さん(76)は3歳のときに終戦を迎えた。幼かったために終戦についての記憶は薄いが、その後の時代の雰囲気はよく覚えている。今思えばそれは「復興」と呼ばれるものだ。
1942年(昭和17)、世田谷生まれ。5人兄弟の下から2番目。父親が満州に出征しているときに生まれた。「その頃は出征にちなんで『征』が名前に入る人が多いんだよ」
給食が贅沢な食事
小学生の頃は食べるのに必死な時代で、家での食事はスイトンが多かった。給食の方が贅沢で「旨かった」という。よく出てくるのはコッペパンと牛乳だった。「バナナなんかは運動会のような特別な日しか食べられなかった」
復興を肌で感じる
小学6年の頃から新聞や牛乳の配達のアルバイトを始めた。「朝は3時に起きてね。(家計を助けるというより)小遣い稼ぎだった」。中高生になると、浅草に歌謡ショーなどの興行を見に連れて行ってもらった。「浅草も昔は闇市だったね。盗んできたようなものが売られていて」。やがて、闇市が姿を消し、復興を象徴するかのように町工場が増えていった。
6つ上の長男は鉄道の専門学校を卒業して就職した。自身では大学に進学できた。
貧しくも楽しい時代
当時はおおらかな時代だったという。「父が鉄道会社勤めだったから無料で電車に乗れた。国鉄でも挨拶一つで乗せてくれたよ。きっと『お互い様』ってことだと思う」と懐かしむ。遊びはビー玉、ベーゴマ、メンコなど路上が舞台だった。「貧しくても楽しい時代だった」と振り返る。
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