ご本尊様を大切に
「お山の自然なり、その中で守られてきたご本尊様なり大切にして、今後も末永く多くの方にお参りしていただきたい。引き続き『心のふるさと、祈りのお山』で」。新しい時代をむかえるにあたり、高尾山薬王院の大山隆玄貫首(かんす)はそう願う。
貫首に就いたのは1996年(平成8)。同院1260年の歴史の中で、平成の時代に31代から32代へ「山の主」が変わった。
大山貫首は先代山本秀順大僧正の意志を継ぐ。「たまたま自分がお預かりしているだけ。時代の歯車のひとつ。山本貫首のお考えを継承している」
山岳修行重視
大山貫首の直弟子で同院教務部長の佐藤秀仁師によると、大山貫首になり「お参りのしやすい御堂が増えた」という。山本大僧正も山岳修行、修験道の教えを重んじていたが、大山貫首はその流れをくみ、「花を開かせた」そう。「山全体を仏として感じて、その中の自然現象はすべて、お日様の光も草も木も虫も全部、仏の姿であり、仏の教えである。大山貫首はその考え方を大事にしていらっしゃる」(佐藤さん)
興隆が加速
2005年(平成17)、「中興開山六百三十年記念年」の節目の年、修行者のシンボルである天狗の大きなブロンズ像(大天狗・小天狗像)が山門近くに建てられた。その像に大山貫首の思いが込められている。「高尾山は永和年間に京都の醍醐寺から旅をしてきた山伏さんが修行を始めたところ。この山は修行にふさわしく、人々が神仏に祈りをこらすにも適した場所。大山貫首はここを『もっと整えよう』と決心したようです」
佐藤さんをはじめとする僧侶一行はその際、「徒歩練行」として京都から山伏の護摩の炎を持ち、500Kmの道のりを20日間かけて歩いた。到着し開眼法要を執り行った。「この炎を永遠の灯として残そうじゃないか」(大山貫首)――。「そこからどんどん発展していきました。山本大僧正の蒔いた種が今、花を咲かせつつある。平成になり、大山貫首になり、修験道の興隆が加速したと思います」と佐藤さんは振り返る。
「賑やかでもいい」
「ミシュランで観光が盛んになり修行どころじゃないだろ」。そんな声が大山貫首の耳にも入った。すると大山貫首はこういった。「いやいや、もともと高尾山は大衆の山だから。みんなに親しんでもらえれば、それでいいんですよ。権現様(飯縄大権現)もそういう賑やかな方がいいんだ」
日中は人に溢れる高尾山も、朝晩は大杉に霞がかかり霊山に戻る。その様子は霊気満山と呼ばれる。「神仏の力が現れている」ことだそう。
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