神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
八王子版 公開:2020年8月13日 エリアトップへ

前会頭、元副会頭の記憶 「怖い思い」「焼夷弾明るく」

社会

公開:2020年8月13日

  • X
  • LINE
  • hatena
八王子商工会議所前会頭の田辺さん
八王子商工会議所前会頭の田辺さん

 地域経済社会の振興を支えた2人に戦時中から復興の時代について話をきいた。2人とは、八王子商工会議所名誉顧問でたなべ物産(株)会長の田辺隆一郎さん(79)と同会議所顧問で(株)スーパーアルプス創業者のひとり内野紀宏さん(79)。同じ高校の同級生で、2000年代は商議所会頭(田辺さん)、副会頭(内野さん)として八王子の発展に大きく貢献した。

前会頭、元副会頭の記憶

駅まで焼け野原

――御二方とも戦争を体験されていますね

内野さん「4歳のときだったのであまり記憶にありません。ただ、B29が飛んできたのを面白半分で眺めていたのは覚えています」

田辺さん「自分は空襲警報をよく覚えています。八王子空襲は8月2日でしたが、3月か4月くらいから時々鳴っていたと思います。都心が攻撃されたときも鳴っていました。その度にとても怖い思いをしました」

内野さん「B29が落とす焼夷弾は明るくて、夜でも昼間のようだった」

田辺さん「元本郷町の自宅は幸い焼けなかったですが、近くの家まで燃えてきました。翌日、2階から外をのぞいてみると、八王子駅まで見えました。その間はほとんど焼け野原でした」

無いものばかり

――当時の生活はいかがでしたか

内野さん「父親が八百屋を営んでいましたが、それでもモノがなく、主食はさつまいも。乾燥させて団子にしたりして食べていました」

田辺さん「お米を食べるとしても、とても貴重だったので必ず何かと混ぜていました」

内野さん「履物がなくて、下駄で通学をしていましたね。冬は霜焼け、あかぎれ。でも泣いている子はいなかった。みんな強かったですね。あとトイレの紙もなく新聞紙をやわらかくして使っていました」

田辺さん「小学校に入ったばかりの頃、校舎がなくてプールで授業を受けました。給食もなく弁当はご飯と梅干だけのときもありました」

糸商、八百屋から

――その後、お仕事はどうされましたか

内野さん「父親は八百屋ながら、川でうなぎをとって売っていました。とても熱心に働いていました。自分は銀行に勤めたのち、店を継ぎました。昭和39年のことです。アメリカからスーパーマーケットという業態が入ってきて『これからの時代に求められるはず』と八百屋から発展させました」

田辺さん「今は不動産業、建設資材の販売にシフトしていますが、戦前、戦後と繊維産業の糸商でした。自分が学生の頃、織物業は全盛期。そのような中で先代は経営について『糸のように細く長く』と心掛けていました。おかげさまで今につながっています。自分は昭和50年に業態を現在の形に変え、昭和56年に社長を継ぎました」

コロナ時代の展望

――そしてコロナの時代です

内野さん「仕事をする上でどんな時代でも変わらず大事なのは『人を裏切らない』『嘘をつかない』『お客様に喜んでもらう』こと。これからも大切にしていきたい」

田辺さん「オイルショックやリーマンショックなどかつての危機は『努力をすれば何とかなる』雰囲気がありました。ただ、今回のコロナは先行きが見えません。その中でも八王子はいい環境にあると思います。自然豊かで伝統文化も残っている。ポストコロナにそのような点が見直され、素晴らしいまちになっていくと考えます」
 

同会議所元副会頭の内野さん
同会議所元副会頭の内野さん

八王子版のローカルニュース最新6

色は紫 香り漂う

色は紫 香り漂う

片倉城跡公園のフジ

4月25日

ビジネスネームを導入

京王バスグループ

ビジネスネームを導入

4月25日

SAKEフェス、初開催

SAKEフェス、初開催

5月11日 日本酒に特化

4月25日

子どもの幸せに役立てて

子どもの幸せに役立てて

青梅信用金庫が市に寄付

4月25日

100圓タンメン発売

100圓タンメン発売

天神町の「長浜家」が協力

4月25日

「卵子凍結」助成を継続

東京都

「卵子凍結」助成を継続

昨秋、開始 28年度までに

4月25日

あっとほーむデスク

  • 4月18日0:00更新

  • 12月14日0:00更新

  • 11月23日0:00更新

八王子版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月25日号

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook