来月で100歳を迎える宇津木町の伊原キヨさんに話を聞いた。
大正9年(1920)10月17日、新潟県生まれ。小学校に上がる頃、「雪が深くて冬は通えない」ことから都心に引っ越すことに。「通ったのは池袋第五尋常小学校。立教大学の門の向かいにあった」と伊原さんは正確に細部まで思い出して話す。その後、東京府立第一高等女学校、音羽洋裁女学校(いずれも当時)と進み、卒業後は生命保険会社で1年働いてから結婚した。「当時は親が決めていたからね。本人同士は顔も知らなくて。初めて会って『なんて背の高い人だろう』って思った」。戦争による被害は幸いにもなかったものの、周囲は焼け野原。生活のために夫の出身地である長野県飯田市で漆器屋を継いだ。世の中が戦後復興に向かう中、1947年に「飯田大火」と呼ばれる市街中心地の7割を焼失する火災が発生。「家も店も丸焼けになった」。しかし、そんな中でも希望はあった。翌年、長男の江太郎さんが誕生した。「戦争以外にも大変なことは色々あったけど、息子を授かったことが一番うれしかった」。江太郎さん(昨年叙勲/瑞宝中綬章)は国家公務員として勤め上げ、2008年に園遊会に呼ばれた。その際、江太郎さんが天皇陛下からお言葉を賜ったことがキヨさんの自慢だ。
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