独で伝染病治療
中町に完成した休憩所「八王子宿」に、八王子からドイツへ渡り第2次大戦後、現地で伝染病の治療に尽力した肥沼信次医師(1908─46)の所持品などが展示される。肥沼医師は中町の出身。「地元にできる施設にぜひ置いてほしい」と市民団体「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」(塚本回子代表)が働きかけ、実現した。
八王子宿は市による施設で10月3日にオープンする。肥沼医師の関連品は1階展示スペースに常設される。肥沼医師はかつて中町にあった肥沼医院で生まれた。
鞄、医院の法被
本人が使ったと推測される鞄、名刺、母親のノート、医院の法被…およそ20点がガラスケースの中に飾られる。
会はその存在を知った塚本さんが2015年に立ち上げた。活動をする中で16年、親族に出会うことができ、その所持品についてを知った。一方、施設建設の計画を耳にすると八王子市などへ積極的に働きかけた。「中町に建てるのならぜひ肥沼医師に関連するものを」と訴えた。
展示品の多くは、肥沼医師の姪に当たる松尾奈津子さんからの提供による。施設の完成を機に協力を得た。「戦争の時、中町は焼け野原になったはず。それでもこれだけのものが残っているのはすごい」。塚本さんはその点から肥沼医師の母ハツさんの愛情を推測する。所持品はおよそダンボール1箱分あり、学校の成績表なども残っていた。
「存在知って」
その中で塚本さんが最も関心を示したのはハツさんが書いたノートだ。肥沼医師をはじめ兄弟に使った金額が記録されている。「箱根丸800円とあります。箱根丸は日本からドイツへ渡る際に乗った船。当時の大卒初任給は50円位だったそうで、その金額に驚きました」
塚本さんは「設置が叶えられて嬉しい。多くの人に肥沼医師の存在を知ってほしい」と話した。なお中町には17年、顕彰碑が建立されている。
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