高校野球で「育成功労賞」を受賞した 浅川 昭男さん 南区上鶴間在住 61歳
「母のように」球児の心を育む
○…日本高校野球連盟と朝日新聞社から、高校球児の育成に貢献したとして今年7月、「育成功労賞」を受賞した。毎年、各府県から原則一人(都・道は2人)が選ばれる同賞。相洋高校(小田原市)の野球部部長として、延べ17年間の指導実績が実を結んだ。「光栄だけど、重みを感じる」。細めた眼の奥から野球への敬意と指導者としての揺るぎない意志が伝わってくる。
○…部長就任当初、練習場には石が転がり、水が湧いていた。部員とともにツルハシやスコップで懸命に整備。それが今では雨天練習場などが完備され、外野も芝に。県4強に導くなど同校を強豪に育て、教え子からプロ選手も輩出した。主に技術的な指導は監督に委ね「精神面を教えるのが自分の役目」と、「ユニフォームの着こなしや道具の手入れなどに関しては厳しく叱った」。教え子が社会に出た時、迷うことのないように。自身の立ち位置を「母親のような存在」と語る。
○…兄の影響で気付けば野球少年。自転車を並べバックネットに。憧れは「4番サード長嶋」。「でも左利きだからサードはできなかったんだよ」と苦笑する。青春は野球一色。武相高校(横浜市)では甲子園にも出場した。転機は東京農業大学時代。肩痛で選手生命が絶たれた。練習場に行ってもプレーはできない。そこで指導者として野球に携わるべく、教員の道を志した。
○…野球の魅力は「考えること」。「投手と打者が互いに心を読み合い、その結果がチームの勝敗につながる」。座右の銘は”練習常善(じょうぜん)”。「練習した者だけが試合で結果を出せる」。早稲田大学野球部初代監督で「学生野球の父」と呼ばれる飛田穂洲(とびたすいしゅう)の言葉だ。昨春教員を定年退職。現在は妻と暮らし、「のんびりと」旅行などを楽しむ。だが母校の東農大へ足を運び後進へアドバイスをするなど、野球から離れることはない。「野球を通して心が強い子、曲がらない子を育てたい」。延長戦は始まっている。
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