戦後も70年になると、日中戦争・太平洋戦争の記憶もどんどん風化していくようだ。しかし、あの戦争と戦後の混乱などをずっと見続けてきた樹木がある。旧陸軍通信学校内に植えられていた桜樹だ。現在の相模女子大学や市立の中学校・小学校の校庭に植えられている桜樹で、毎年見事に咲き続けている。
陸軍通信学校は昭和14年(1939年)5月に移転開校されたので、開校当初に植えられた桜樹の樹齢は76年以上になる。もし、桜樹たちが口を利くことができたら、戦時中の通信学校の授業風景や伝書鳩(軍鳩)のこと、相模大野周辺の様子なども詳しく聞けられたのにと思う。
実は、この桜樹の置かれた状況にヒドい差があり過ぎて、考えさせられることが多い。例えば相模女子大学の桜樹。構内の最奥にあるのは「百年桜」と称されてとても大事にされている。樹枝周りは立ち入りが禁止されていて、草や土で覆われている。だから、樹勢が良く見事な枝ぶりなので、毎年開花時には見物に訪れる人が多い。また、正門のすぐ右手のフランス庭園にある枝垂(しだ)れ桜も見事な枝ぶりで毎年あでやかに咲いている。相模女子大学の構内の樹木は概して養生良く植栽されていて、キャンパスの品格と清浄さを醸し出している。
ところが、同じ桜樹でも小学校の校庭の桜樹は痛々しい限り。樹の下に、平日は教職員や業者の車が駐車し、土日は少年野球やサッカーなどのスポーツ関係者の車が昼夜にわたって停まっている。しかも、その根周りは細かい砂利土が敷き詰められていてコチコチ。桜樹の根は枝と同じ範囲に延びているのだから、樹の下に車を停めると言うことは、養分を吸収する根を圧迫することになる。桜樹の下は車を停めやすいのだろうが、桜樹の気(木)持ちを考えると、なんとも残念でたまらない。気を付けて見てみるとこの小学校だけではないようだ。私は市内の全小中高校・大学、さらに公共施設や企業の桜樹の植生実態調査をしようと思っている。
夏の炎暑にも冬の極寒にも負けず、排気ガスや虐待にもめげず、桜もケヤキもイチョウも、全ての木々は健気(けなげ)に立っている。そして私たちに新鮮な空気や涼しい緑陰を提供し、美しい花を咲かせたり、見事な景観を演出して、充分すぎるほど人間社会に貢献している。
古来、私たち日本人は、神社仏閣や村のシンボルの樹木を人間以上に大切にしてきた。「ご神木」として崇(あが)め大事にしてきた例もある。あまねく樹木を大事にする、これは世界に誇れる「日本人の美風」だったのではないだろうか。
嗚呼、それなのに、それなのに。
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