南区大野台にあったゲイマーぶどう園の元工場長 水澤 澄江さん 南区古淵在住 77歳
ご当地ワイン、支えた女史
◯…ちょっと前までこの相模原でもワインが造られていた。それも、庶民には全く馴染みのなかった時代から。その力強い味(余韻が残る味)は愛好家から親しまれ、相模原の土産としても喜ばれた。「ぶどうが収穫された土地で味わうのが一番」。およそ50年にわたり、ゲイマーぶどう園でのワイン造りを支えた。その人生は、貴重な相模原産ワインの歴史そのものだ。
◯…新潟県長岡市に7人兄弟の長女として生まれる。小学3年の時に街を襲った長岡空襲は今でも鮮明に記憶に残っている。中学卒業後、3年間、地元の名門旅館で働く。そして、上京し、会社勤めをスタート。ある日の業務途中、新橋の骨董屋に立ち寄ると、そこに並ぶ、ワインに目がいった。これが運命の出会いとなる。それはフランス人によって、相模原で造られたものだった。
◯…船乗りだった父親は近くの山で採れたぶどうでお酒を造った。「本物のワイン。ドイツの赤に近かった」。少女はその味を覚えていた。そして、あの日見つけたワインのラベルを手がかりに、やってきたのは、大野台に広がるぶどう園。「甘くないものだったら私にも作れますよ。甘いのはどうやるのですか?」。農園主のフランス人・ゲイマー氏にたずねた。彼女の話す製造方法がフランス式と同じとわかった氏はこう言った。「ここで働かないか」。
◯…狸(たぬき)、燕(つばめ)、カルガモ、雉(きじ)…。農園にはたくさんの動物が暮らしていた。「今はどうしているんだろうね」。アスファルトに整備された彼らの住処を憂う。平屋の自宅の庭にはこごみ、ぐみ、蓼(たで)などの植物が茂り、秋には赤とんぼもやってくる。テレビもなく、クーラーもつけない暮らし。そんな慎ましい生活こそが、本当の豊かさであること。ワインの出来は作り手によっても大きく左右されるそう。「自分の心に抵抗しない。生き方に信念を持っていますから」。その力強い人生は、あの味そのものかもしれない。
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