自身の飲食店で毎月、ボランティアで市内の福祉施設利用者をもてなしている 江幡 美智男さん 相模大野在住 57歳
感謝の気持ちをスパイスに
○…「食べた人の喜ぶ姿を見たり、手紙をもらったり。そんな時、やっていて良かったと思う」。満面の笑みを浮かべる。市内の福祉施設利用者を対象に、自身が営む中国料理店で食事を振る舞うボランティア活動。始めてからかれこれ25年の歳月が経ち、関わった施設は30を超える。
○…出生時、鉗子分娩で右目に支障をきたし、ほとんど視力を失った。「苦労もあったけど、自分の店も持てたし、生きていて良かった」。感謝の気持ちを人々に還元したい、という思いがボランティアへの気持ちを駆り立てた理由の一つだ。料理人修業時代、「自分の店を持ったら、親のいない子どもたちをもてなしたい」と、友人とふたり夢を語り合った。30歳で念願の独立を果たし、最初の2年間は休むことなくがむしゃらに働いた。定休日を設けたのをきっかけに、かねてからの思いを実現させるべく、市社会福祉協議会南区事務所に協力を仰いだ。
○…相模大野で生まれ育った。東海大相模高校ではラグビー部に所属し、全国大会も経験。高校卒業後、都内の中国料理店に8年間住み込んだ。その後、蓄えた資金をもとに渡米し、アメリカを1周。帰国後再び料理人として修業を続けた。「20個くらい候補があった」という店の屋号は、知人の子どもが読んでいた絵本のキャラクター「プータン」から取った。開店して今年で満27年。現在の場所で変わらず地域の人々を温かく迎えている。
○…「父は道楽者だったから、母は苦労した」。3人兄弟の長兄で、母親への孝行の思いは強い。人の好さが表情に表れる。さっぱりとした純粋な物言い。笑い声は「ワハハ」と豪快だ。店舗近くの南市民ホールで公演した役者の来店を機に、10年ほど前「相模原演劇鑑賞会」の会員に。「舞台を観る眼もついてきたかな」。お気に入りはミュージカルだ。「健康な限り店もボランティアも続けていきたい」と少年のように笑った。
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