最初は同居の家族の発熱(37℃程度)だった。職業柄もあり、念のために休みを取って自宅の一室で過ごしてもらうことになった。保健所などに連絡をとり、PCR検査をした結果、陽性と分かった。
女性本人も濃厚接触者となり、自宅待機に入った。生活は一変した。一日中、トイレや廊下、ドアノブ、スイッチ類を消毒して拭く作業に明け暮れ、雨戸は開けず、ゴミ出しも外出と思って控えるようにした。近所の目線も気になった。生ゴミが出ないようカップ麺などを食べるようになり、家の中にプラごみがたまるようになった。
買い物にも困ったが、別世帯の親族が買い出しに行ってくれて、買い物袋は玄関に置いてもらい、受け取ることにした。同じ玄関先に、野菜を置いて行ってくれた知人もいて、有難かった。
陽性の家族は自宅内のそれぞれの部屋で隔離生活を送っていたが、その後ホテル療養が決まり、自宅を離れた。濃厚接触者となってから6日後、女性自身も発熱(38℃)の症状が表れた。検査の結果、陽性と判明。幸い発熱以外に症状はなかった。消毒と隔離を徹底していたが、家族間感染を防げなかった。
同僚は「謝らなくていいよ」
「周りはどう反応するだろう」「いろんな所に迷惑をかけてしまう」「申し訳ない」と思い、毎日涙が止まらなかった。職場に陽性について伝えると、同僚は「謝らなくていい」と気遣ってくれた。心も体も疲れ果てていた中で、茅ケ崎市保健所からの定期的な電話は心にしみた。「食べられていますか」「眠れてますか」など、色々聞いてくれて、「それが何よりですよ」と返してくれる。地元行政にも、こうした寄り添う、心のケアがあったらと思う。
自宅療養の中で、一番心配だったのが、同居する80歳代の親の存在。要介護者で基礎疾患もあり、絶対に感染させてはならない。自分と接触しないよう、1階と2階で分かれて暮らし、食事を作っても親の部屋の前に置いておくようにした。生活支援が必要なのに、傍には行けない。急激な環境の変化に対応できず、親は生活も昼夜が逆転し、部屋での転倒も増えた。
発熱もおさまり、10日ほどの自宅療養の期間が終わった。ようやく外出できるようになった頃、ついに高齢の親が発熱した。検査結果は陽性、レントゲンで肺炎も判明した。入院後は面会できなくなり色々な事を覚悟した。病院からの電話着信があると心臓が高鳴った。1カ月以上たった現在も入院を続けているが、幸い回復の途上にあるという。
「おかえり」と言えるやさしさを
今思えば最初に発熱した家族が、念のため仕事を休んでくれた事がよかった。あの判断が家族以外の人に感染させてしまう事を防げたのかもしれない。感染しない、させない対策を入念にしても、感染する可能性はある。そして、かかった人が悪いと思われがちだ。寒川町は『高座のこころ』をキャッチフレーズにしている。コロナにかかっても復帰(回復)した時に、「おかえり」「ただいま」といえる優しさあふれる町であってほしい。
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