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相模原に避難されている方の声 3・11と一言でまとめられてしまうが、被災された方の思いも風景も決して一様ではない。時間をかけてでも一人ひとりに手を差し伸べていきたい 火の海に言葉を失った―― 菊田春彦さん/宮城県気仙沼市から避難中。中央区上溝在住。52歳。

公開:2012年3月8日

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 震災が起こった当日は、入院先の仙台市の病院にいた。病室のテレビに映し出されたのは、一面の火の海。そしてそこは、紛れもない生まれ故郷・宮城県気仙沼市にある大島だった――。

 「ずっと、この島で生まれ育ったんだから。どの方角に何があるかがわかるわけよ」。島の気仙沼湾に面した側がどんどん炎に包まれていく。「その内、自分の家がある集落からも煙が見えてきて」。しかし、地元と連絡はとれない、テレビに釘付けになるだけだった。菊田春彦さん(52)の目からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 家族の安否が確認できたのは、2日経ってからのことだった。病院に、妻と子ども3人が無事であるとの知らせが届いた。明治の大津波の後、集落を高台に移転させていたため、津波の難は逃れた。市内を包んだ火の手は、家の50m側まで迫り鎮火した。しかし、港にあったホタテの養殖場や妻が経営していた理髪店は流され、生活の基盤を失った。

 現在は一家揃って、おじの自宅(中央区上溝)で暮らす。知人ばかりの郷里とは違う環境に、不便さを感じることも多い。「大島なら例えば、テレビを配線するとしたら、知り合いのあそこの電器店に頼もうとか。港に子どもが一人で到着すれば、家まで誰かが連れてきてくれるようなところ」。菊田さんによると島の人口は3000人ほど。そこは昔ながらの人のつながりを、色濃く残す場所だった。71万人都市とのギャップは大きい。「こっちでも時間が経てば、少しずつ知り合いもできるんだろうけど」。

 昨年秋には、市内居住の避難住民同士の交流を目的としたイベントにも参加した(市主催)。「普段、話すような人もいないし。こういう機会があれば、なるべく顔を出したいとは考えているよ」
 

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