タウンレポート "大野ジャズ"今昔物語 たどり着いた「昭和の記憶」 米軍施設で聞こえたスイング
思わずスイングしたくなるような、ウキウキした街――。相模大野駅周辺の商店会などでは現在、”ジャズ”をキーワードにした、まちづくりを推進している。これは平成17年からスタートした取り組みで、相模大野一帯の魅力アップをめざし、エリアセールスにつなげようとするもの。今年4月からは相模大野ジャズ実行委員会(塚本敏実行委員長)を立ち上げ本格的な活動を開始。来年2月には新たなイベントも決定している。
「ジャズはおしゃれな音楽。相模大野のおしゃれイメージと合うはず」。大きなきっかけとなったのは、平成17年からスタートした「もんじぇ祭り」。これは駅周辺の飲食店が中心となり企画したもので、8月の終わり、中央公園(伊勢丹裏)で屋台料理を食べながらジャズライブを楽しむというイベント。町内会の祭りとは一線を画す”粋な内容”は大当たりし、祭りは初回の8千人から年々来場者が増え、今では2日間で5万人以上が訪れる規模にまで成長した。
もんじぇの成功とともにジャズの街というイメージは関係者の中で徐々に浸透してきている。ジャズ実行委員会ではこの夏、「街なかライブ」を開催。今月からは4ヶ月かけて4つの商店会をライブが巡回する企画も用意されており、来年2月11日(土)には、新イベント「ジャズクルージングナイト(仮称)」も決まっている。
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「かつて(伊勢丹の所に)米軍病院があって、そこやまわりの兵隊さんの住居から夜な夜なジャズが聴こえていたんです」(地元住民)。この街を古くから知る人の記憶をたどると、大野ジャズのルーツがうかがえる。
東京都江戸川区に住む高山聖さん(62)はその当時、実際”相模大野の米軍施設”で演奏をしていた一人だ。高校2年のときにブラスバンドでサックスをはじめたという高山さん。東京音楽大学サックス科を卒業後、担当の先生から「キャンプまわりをしているバンド」への参加を誘われた。
そのバンドは当時、座間のNCOクラブで演奏をしていた。そこは米軍基地などにある慰安施設のこと。入院している米兵をケアするための場所だ。高山さんはバンドに入り、座間だけでなく近隣のNCOへも赴いた。毎週木曜日から日曜日は西立川の施設で専属バンドとして演奏。戦時中でも米軍にとってジャズは必要な娯楽だった。
「2回ほど演奏したことがあります。外観は白っぽい建物で、2階建てか3階か、そのあたりはあまり覚えていませんね」。米軍施設でサックスを吹いていた高山さんによる、大野ジャズの記憶だ。演奏場所は奇しくも現・もんじぇ会場のそば。昭和40年代、確かにこの街にジャズは流れていた。「曲はビリーボーンやグレンミラーのもの。JAZZのスタンダードの多くは映画音楽に使われ、兵隊さん達に好まれました」。
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あれから40年以上が経った現在、この街で再び、スイングが聞こえてきている。
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