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国担う若者の団結に期待

社会

公開:2017年8月10日

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 戦時中は市内の中学に通い、通常授業に加え、軍事教育の名のもと、「教練」という授業を受けていた。一日も早く入隊し、戦争に加わるのが常識とされていた時代。本人の希望と親の承諾があれば、未成年でも中学生以上なら入隊できた。それだけ戦争での人材不足は深刻なものだった。

 学校では剣道や体育の教師が中心となって訓練を敢行。中学生らに戦闘で使用する本物の銃を手に持たせながら伏せたり、前進したり、構えるといった訓練を実施し、短期間の訓練で「戦争に行く人間」づくりに心血を注いだ。ただ、同学年の仲間に不平不満を口にする者はいなかった。「知恵が働かず、言う通りにやるだけだった」。中には入隊した人が3人ほどいた。自身も入隊を希望したが、7人兄弟の農家の長男だったことで後継ぎが求められ、親の承諾を得られず断念した。

 中学卒業と同時に、戦車生産などを専門とする浅野重工業(当時の財閥系企業)に中学から半ば強制的に送り込まれる形で入社した。会社でありながら、軍事工場がゆえに監督者は軍人。戦闘用の刀を普段から持ち歩くなどただならぬ状態だったと回想する。そして、8月15日の終戦の日。玉音放送は昼休みに職員全員で直立して聴いた。ラジオから聴こえてくる内容は難解だったが、上司の一人が言った。「どうも、戦争は負けたらしい」。その時は「半分信じて、半分疑う、そんな心境だった」。そのうち空襲警報が鳴らなくなり、安眠できるようになったことで徐々に平和を実感するように。「入隊を承諾しなかった父親には、拝むような気持ち」と感謝を口にする。

 終戦の混乱の中、閉塞状態だった人々にはマグマのような思いが渦巻いていた。唐突な終戦に戸惑う若者の気持ちを一つにしていったのが、「青年団活動」だった。各地区に青年団が結成され、地域単位で催しや会合などを通じ、先輩、後輩の関係を構築しながら治安を守っていった。終戦後の混沌状態で国の統制が効かない中、地域での団結によってまとまりが生まれた結果だった。石井さんは、連帯感が乏しい現代にも終戦直後の混沌のような状態が垣間見えると指摘する。「あのムチャクチャな時代のように、今の若者たちもバラバラではないか。彼らが国を支えていく年齢になったとき、どんな時代になるのか心配だ」と表情を曇らせるも、その思いの受け皿となり得る「(青年団のような)若者の気持ちを寄せる組織」が結成されることに期待する。「若者もそんな団結力が欲しいのではないか。そうした政治をしないと国の寿命がないんじゃないか」。

 戦争から平和へ、そして戦後の混乱を自治でたくましく乗り越えてきた者として、若者たちの将来の行く末を案じてやまない。

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