1890年(明治23年)に創立された東京獣医講習所を起源として、麻布大学は今年125周年を迎える。その名の通り、当初は東京市麻布区本村町(現・港区南麻布)にあった同大。現在の淵野辺に校舎を構えて68年になるという。
1945年5月、東京を襲った大空襲で麻布にあった校舎は一瞬にして灰と化した。これにより、在学中の学生たちは6カ月繰り上げて卒業せざるを得ない事態に。戦後を迎えても、校舎のないまま近くの園芸学校や、寒川町にあった旧海軍相模工廠跡など、学習の場所を転々と移動した。
47年、淵野辺にあった旧陸軍兵器学校の跡地でようやく校舎を構え、相模原で再スタートを切った。当時の学生数は160〜200人ほど。広大な元演習地には一面草が生い茂り、日本軍の戦車も放置してあったという。産業動物への餌や肥料を作る農場が敷地のほとんどを占め、少ない建物にはガラスもなかった。学生たちは、窓枠に金属を張り巡らせ、ゼラチンを塗って代用した。
淵野辺に校舎が移転となった翌年の48年に入学した小清水憲雄さん(84歳/中央区在住=下写真)は、当時の学生生活を振り返った。「学校内には何もないから大変なことが多かった」。天井も窓もない研究室で勉強する日々。今の街並みからは想像もつかない程に原っぱが続く上溝から淵野辺の道中を自転車で通った。
戦後、獣医学に携わる女性は少なく、クラスは全員男性だった。地元から通う学生はごくわずかで、獣医をめざして全国から同級生が集まっていた。学生らはお金の工面に苦労し、食べるものがなく、さつま団子で凌ぐこともあった。さらには獣医学という専門性の高さ故、教科書を手に入れるのも一苦労。神田まで本を買いに行った思い出も。「追試になるとお金がかかるから、みんな必死に勉強していたよ」。米軍基地が近いこともあって、基地へ砂利を運ぶアルバイトなどをしている学生もいたという。
全国に散らばった52年卒業の同級生たちとは、未だに交流が多くある。同窓会事務局に残されていた当時の文集の写真を見て、その名前をつらつらと読み上げる。北海道から鹿児島まで、同窓会の仲間とは年賀状のやり取りに限らず、直接会いに行って思い出話に花を咲かせることも。
「今は、自分が通っていた頃と大きく違って建物もずいぶん立派になった。みんなよく勉強していると思う」と話す小清水さん。戦争の名残がだんだんと薄れて時代は変わっても、勉学と向き合う学生たちの姿は変わらない。
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