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相模原に五輪が来る 第1回(全4回)1964年東京五輪で聖火走者を務めた 井草 浩さん(76・緑区在住)

社会

公開:2021年7月1日

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桂北小学校(緑区)前を通過する聖火走者を務めた井草さん(写真は本人提供)
桂北小学校(緑区)前を通過する聖火走者を務めた井草さん(写真は本人提供)

 いよいよ7月23日に東京五輪が開幕し、相模原も競技会場となります。そこで、市にゆかりのある五輪関係者に「五輪への思い」を聞き、来たる日に向けて開催を盛り上げる機会といたします。

夢中の15分 つないだ聖火

 1964年10月8日午前8時18分、相模湖漕艇場。晴天のもと、山梨から引き継がれた聖火を県五輪実行委員からトーチキスで受け取ると、歓声に包まれながら勢いよく走り出した。沿道では多くの日の丸が揺れる。周囲の視線が一点に注がれる中、頭は真っ白。それまで試走はしていたものの、ほとんどがぶっつけ本番。先導する2台の白バイと、後に続く伴走者22人との間隔を保つことだけに細心の注意を払う。沿道からの大きな声援はもちろん聞こえていたが、とても手を振る余裕はなかった。

 実行委員からの指示で、トーチを持つ腕が下がらないようにも気を付けた。相模湖公園の交差点からの坂道も上り切り、小原の里(今の小原宿本陣)で待つ次なる走者に聖火を受け渡すまでの「責任」を果たす。その間、およそ2Km。時間にして15分だった。

 当時19歳。津久井高校を卒業後、相模湖町役場の職員に。役場の野球部とボート部に所属するスポーツ青年だった。走者を務めた後、開会式をテレビで観た。最終ランナーの坂井義則さんが国立競技場の聖火台に火を灯すのを見届けると、聖火をつないだ一員としての実感が込み上げてきたのを思い出す。

 聖火リレーでつかんだ自信は大きく、人前に出ても緊張しなくなった。子どもたちからは憧れのパパとなり、今でも孫から「すごいねと言われる」と顔をほころばせる。「漕艇場からスタートして、メインの区間を走らせてもらった。私の人生にとって一番の出来事だ」と感慨もひとしお。授与された参加メダルや聖火走者への委嘱状は大切に保管し、市立博物館で行われた展示イベントにも提供した。

 もうすぐ、五輪が相模原にやって来る。そのことを率直に喜び、「貴重な機会。楽しんでほしいし、当時の東京五輪を知る人は思い出してもらえたら」と期待感を示す。選手たちには「仮に無観客でも、日の丸を背負っている以上、上をめざして頑張ってほしい」

 ただただ必死に駆けた、夢のような15分を知る先輩からの、心からのエールだ。
 

取材に答える井草さん=6月24日
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