いよいよ7月23日に東京五輪が開幕し、相模原も競技会場となります。そこで、市にゆかりのある五輪関係者に「五輪への思い」を聞き、来たる日に向けて開催を盛り上げる機会といたします。
2度の「銀」も 今は誇り
東京五輪女子バレーボール決勝、日本対ソ連。会場は駒沢体育館。いわゆる「東洋の魔女」旋風で世界中の視線が注がれたその試合を観客席で目に焼き付けた。「自分も五輪のあのコートに立ちたい」。当時高校3年生だった少女はその思いを現実のものとする。
メキシコ五輪での銀メダルを経て、代表チームのエースとして臨んだミュンヘン五輪。日本優位、下馬評通りの連勝街道で迎えた決勝の相手はまたもソ連だった。選手たちのコンディションは最高潮で万全の体制が整いつつあった。
ところが、試合当日の未明にパレスチナゲリラによる選手村襲撃事件が発生。試合は1日延期となった。耳に残る銃声、物々しいヘリの騒音、チーム内に動揺が走る。運命に翻弄されながらも決勝では懸命に戦い、フルセットにおよぶ熱戦を演じたが惜敗を喫した。失意の中、コートに崩れ落ちる選手たち。背負わされた「金」という期待の大きさを物語っていた。「もう日本には帰れない」と泣いた。帰国後、金メダルを獲得した選手から順に降機していく。「あのタラップを降りる情けない気持ち、今でも忘れられない」
ミュンヘン五輪後は、所属していたユニチカに1年ほど在籍していたが、バレーボールからは次第に気持ちが離れていった。忍耐、努力、根性を強いられた時代。午前中に勤務し午後は練習漬けの毎日。時には朝まで続くこともあった。心身ともに満身創痍となり競技との距離を置いた。
それでも数年たって近所のママさんバレーに誘われると、指導しながらプレー。そのうちバレーボールの楽しさを思い出すように。試合に出れば負けん気が込み上げてくる。「やっぱり負けず嫌いなんだなって」と笑う。そうしてミュンヘンでの経験も、2度の銀メダルも、ようやく受け入れられるようになったのはここ数年でのこと。「私たちもすごかったんだよねと」。今では残した足跡を誇りに思う。
五輪は今でも「夢を追う場所」。相模原に来ることには「選手を身近に感じ、興味を持つ機会になれば」と期待する。そして自身の経験から選手たちへこう激励した。「プレッシャーを気にせず、勝ち負けにこだわらず、自分の力を発揮することだけを考える。そうすればメダルが見えてくる。精一杯頑張って」
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アゴラ春号5月3日 |
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